スピティ・キナウル谷へ – 世界で一番危険で、一番美しく、一番聖なる場所への旅(前編)




■標高4000mの場所に美しい僧院があるのだという


もう10年位前の事でしょうか。

インドのヒマラヤのひたすら奥、標高4000m以上の高地に美しい僧院があるとの噂を聞いたのです。
その僧院は、絶望的なまでに蒼い紺碧の空の下、ただ美しく気高く岸壁の上に屹立しているのだと。
僧院の中ではツァンパという麦こがしを食べ、塩バター茶を飲んで、僧侶たちがずっとお祈りしているのだと。

「どこ? それ?」

「ヒマラヤの奥地だよ。ずっとずっと奥なんだ」

ただ遠くへ行きたいって言う少年のような純粋な希望を満たすには、十分すぎる秘密の場所。

「いつかそんな所に行ってみたいなぁ…」とは言ったものの、忙しい普段の生活の中では、そんな不思議な話は思い出すこともなく、記憶の中に埋もれて行ってしまったのでした。

■夢の僧院は遥か彼方に


噂に出てきた夢の僧院はスピティ・キナウル谷にある、キー・ゴンパという場所らしいとわかった時、いつか、どうにかして行こうと考えるようになりました。しかし、調べてみれば調べてみるほど、あまりにも行きづらいということが判明してきます。

今回はマナリで5月中旬に車を手配したのですが…みんな言うことは同じ。

・2つ道はあるが、片方はまだ雪で道が閉鎖されて行けない
・もの凄い奥地にある
・空港はなく、バスか車で行くしかない

そしてみんなが口を揃えて「一週間じゃ全然足りないよ」と言うのです。

一週間じゃ全然足りないってどういう事??

地図で見てみると、マナリからキー・ゴンパまでは直線距離で100Kmほどしかありません。
マナリもキー・ゴンパもヒマーチャル・プラデーシュ州という、同じ州の中です。
なのに一週間じゃ全然足りないって…どういうコト?

現代のこの世界で、一週間で往復できないところが果たしてあるのでしょうか?
日本からロンドンまで飛行機で12時間、地球半分を半日で飛べてしまうこの世の中なのに。
香港なら日帰りできるこの世の中なのに。
同じ州の中で一週間もかかる。
そんなバカな。

インド人達、儲けようと思ってウソついてるだろ、いつもの事だろと思わざるを得ません。でも、その割には聞く人聞く人、みんな同じことを言うのです。

一週間では全然足りない場所。僕らは出発してからも「なぜ、そんなにかかるのか?」と半信半疑だったのですが、実際に自分たちの身体でその理由を知ることになったのでした。



■スピティ・キナウル谷へのアクセス
スピティ・キナウル谷はインドの北部、ヒマーチャル・プラデーシュの東側に位置します。場所は中国との国境にほど近く、地理的にはチベット高原の続きで、文化的にもチベット文化圏の中に入っています。国としてはインドですが、地理的にも文化的にもチベットの一部です。



スピティ・キナウル谷に行くには2つのルートしかありません。比較的簡単なのは、Aルートのマナリ→ロタン峠→カザに入るルートで、マナリから20時間もあればカザに到着します。ただ、このルートは標高5000mのマナリの近くのロタン峠を超えなければならず、ロタン峠が開いている夏の間のみ通行可能。

僕たちが行こうと思ったのは5月10日頃のちょうど、ルートAが通れない時期だったため、長くて辛いルートBを選ぶことになりました。

後悔先に立たずとは言いますが、このルートB。本当に辛くて、やっぱりやめときゃ良かった…インド人が大変だよっていうんだから本当に大変なんだよ




■1日目 マナリからサラハンへ
スピティ・キナウル谷に行くにはぐるりとピンバレー国立公園を廻る必要があって、今日はマナリからサラハンと言う所まで行くのだそう。

チャーターした車は時間通りの朝7時に宿の前に到着し、同行のいだっち、ショタソ、ルミ、しずく、デール、そして僕を乗せて出発。デールはマナリで連日遊びすぎ、体調が悪いままの出発だったが…これが後でボディブローのように響いてくることになった。

途中のガソリンスタンドで給油して



有名なクルショールの工房の前で、大量の山羊に出会う。クルショールは原毛100%だというが、これはなんとも言えない説得力。



途中、クルの市場では大量のグリンピースが集荷されていました。グリンピースの山の上で子供が遊ぶのも、僕らがパクパク味見するのも全部自由。商品の上で子供が遊んでていいの? せっかく収穫したグリンピース、踏まれまくりだよ!

インド人と日本人の感覚は全く異なり、インド人は色々なことに鷹揚なんだけど、幾らなんでもこれは鷹揚すぎなのでは…



グリンピースの山の中に裸足で立って作業している二人。日本人の僕らは「グリンピースの上に登る前に足洗った?」 「グリンピース踏み潰してない?」 って思いますが、きっと彼らはそんな細かいこと気にしません。



今回一緒に同行した写真家のいだっちは、旅の最初から色々なものを撮るのに夢中!! 素敵なアングルを探しては延々写真を撮っていました。6日間、プロの写真家と一緒に同行して思ったのは、「プロは心構えが違う」と言う事でした。とにかく彼は延々写真撮っていましたもん。



車は徐々に山に入っていきます。



道は狭く、バス同士がすれ違うのは至難の業。インド人のドライバーは日本人より動物的な運動神経が鋭いらしく、「お前らどこに目が付いているんだよ!」って言う絶妙な間隔ですり抜けていきます。まるでサーカスです。



ドライブの途中の小さな山村が素敵でした。インドの多くの場所では、土地の人達が観光客慣れをしているのですが、たまたま通りかかった名も知れぬ村は古き良きインドの山村の雰囲気をたっぷりと残していました。

写真は村の人に囲まれるいだっちと、デール、しずくにルミちゃん。この村の人、みんな本当に素敵な人々でした。



行き交う人たちはみなパンジャビドレスを着て、男性はこの地方の伝統的な帽子をかぶっています。



商店の軒先に並ぶカラフルな布は、まだここがヒンドゥ文化圏であることを教えてくれています。



カリフラワーにピーマン、ナスにトマト。玉ねぎとパパイヤ、マンゴー、生姜。ここで野菜を買って、スパイスをぱっと入れればベジカレーの出来上がりなのでしょう。



街の中のテーラーさん。何年同じ所で仕事をしているのでしょうか。薫り立つ風格が素敵です。



見知らぬ村を抜けて車は山の中へ。ヒマラヤの中、チベット高原に向かうと言うことで、何もない茫漠とした砂漠みたいな土地を想像していたのですが、みずみずしい緑が美しく、まるで日本の深い山の中にいるようでホッとします。



深い山道はやはりあまりメンテナンスの手が届かないのでしょう。ちょっとだけあるガードレールは岩で押されて崩れそうになっています。舗装もされた形跡はありますが、完全にダート化しています。



山の中でこの地方の神様に出会いました。男性の肩の上に乗っている神輿の中に神様が降臨するのですが、降臨すると神輿が誰も触っていないのにも関わらず強い力で左右に揺れるのだそうです。



降りしきる雨の中、土地の男たちが神様を担いでいきました。ヒマラヤ山中に生き続ける民間信仰の現場を見た思いです。



山を抜け車はガケの道へ…。山道には当然のようにガードレールはなく、ハンドル操作を一つ間違えれば500mくらい下の谷底に真っ逆さまです。下を見るのもイヤです。目がクラクラします。こんな怖い所、速く抜けて欲しい…そればかりを思ってこの場所を通過。

この時は、こんなガードレールがない危ない道はここだけだと思っていたのですが…実際には6日間の行程を通じてずっとガードレールがないガケばかりを走り続けることになりました。

今回のこの旅の感想を一言で言えと言われたら…

 「ガケばかりで死ぬかと思った」

   「世界で一番危険な道のりだった」


インドパパ、結構世界の危ない道を通ってきています。イランからパキスタンへのバイブレーションロードや、ネパールのランタン谷へのギリギリ渓谷道路、南米アンデスも超えてきました。マナリからレーまでの死にそうな道も通過しました。

でも、その経験を持ってしても、今回のスピティ・キナウル行きが人生で一番の悪路だったと言い切れます。マナリからスピティ・キナウルへの道は間違いなく世界でトップクラスの危ない道路です。



トラックの幅一台分しかなく、しかも横は切り立つガケ。僕ら日本人は「こんな所、死んでも運転したくないよ!」って言うと思うのですが、インド人ドライバーは平然とすれ違いをして、時速50Kmで崖道を走っていきます。

「ヒー! 見たくない!!」
「もう、生きてる心地がしないんだけど…」
「ヤべー!!」




程なくして1日目の目的地サラハンに到着。マナリを出発したのが朝の7時で、到着してすぐに日が暮れたので…実際に走っていたのは10時間位でしょうか。確かにこのペースで走って行くと、目的地のキー・ゴンパまでは往復6日かかる計算になります。



サラハンの街は雰囲気のある美しい所でした










■2日目 2016年5月10日 - サラハンからレコンピオ、そしてナコへ
2日目はチベット高原に入る日。今日これから僕たちが行く道はこの白い線…マジデスカ! ずっとガケが続いているようにしか見えません…今日も過酷な一日になりそうです。



道の途中で蜂箱を見つけました。ヒマラヤ山中でたまに売っている、オーガニックのはちみつはこんなところで採集されるのでしょうか…



延々続くガケ道を走ります



何時間走ってもやっぱりガケ道…ガードレールがしっかりしているのが唯一の救いです。



写真に写っているのが僕達の乗っている車。インド製マヒンドラ製の4WDで、正直、インド製とは思えないスムースな乗り心地でした。



ちょっと休憩後、走りだしたらまたガケ道。延々、延々、崖道が続き…



山を降りて、川沿いになったと思ったら完全なダートが出現しました。車窓から見る風景はどんどん険しくなり、緑が徐々に少なくなり、荒涼度を増していきます。



大地はカラカラに乾燥し、車が走るたびにもうもうと砂埃が上がります。小さなパウダー状の砂埃は車の窓を完全に閉めきっていても、どこから入ってくるので、車の中まであっという間に埃っぽくなります。



こういう風景…どっかで見たと思ったら!!! パリ・ダカールラリーとか!!! 火星とか!
そう言うレベルの景色だよ!!



砂埃地帯を超えても、ダートの道は延々と続きます。
ガタガタ、ガタガタ、ガタガタ…延々ガタガタ…



峡谷の中のダート道をトラックが埃を上げて走り抜けていきます。正直、振動とホコリで僕らの身体は既にギブアップ寸前。移動の2日目にして疲労がマックスに突入しました。

僕らは旅行者だからこの道路は一回しか通らなくてもいいわけだけど、このトラック運転手はこのヒドい道を通るのが仕事なんだよね…インド人のドライバーたちって本当に大変!!!



もの凄い断崖絶壁の横を通るトラック。ここ、落石とかないのかなぁ…ブルブル…そういうことは考えないようにしよう…



■レコンピオでインナーラインパーミットを取得する
インドは自由な国ですので、ほとんどの場所は自由に旅行ができます。でも国境地帯や、紛争地域は、いくら自由なインドとは言っても、流石に制限がかかります。

スピティ・キナウル谷もその一例で、中国との国境からほど近くなので、実際問題、中国人のスパイなどに入られると困るのでしょうね…インド政府はインナーラインパーミットと言う入境許可証を作り、ツーリストの滞在を制限しています。

このインナーラインパーミットはレコンピオのオフィスで取得することができます。私達は今回、レコンピオのツアー会社に頼んで500Rsで取得しました。地球の歩き方には無料って書いてあったのにな! まぁ、インド旅行はそんなもんだよねぇ…



インナーラインパーミットを申請している間、レコンピオの街をウロウロしてみます。レコンピオの街は既にインドの風景ではありませんでした。見たことない帽子を被ったおばちゃんが街のあちこちをウロウロしています



街ゆく人の顔立ちや体型もいわゆるインド人とは違います。僕たちが考えるインド人はパンジャビ系のがっしりした体格で、頭にはターバンをかぶっている人たちだと思いますが、ここ、レコンピオの人々は小柄で体型は丸め、顔立ちはどちらかと言うと僕達に似ています。



素敵な格好のおじさんに出会いました。お前イタリアンマフィアかよ!!って言うスーツを着て歩いています。イタリアンマフィアはカッコイイのですが、横の2人はやはり一般的なインド人とは異なる、丸目の顔立ちをしていますね。左側の人はインド系の血が入っていますが、右側の人は完全にチベット系の顔立ちです。



■またまた断崖ロードを超えてナコへ

インナーラインパーミットは1時間ほどで出来上がり、改めて出発です。夕暮れが近くなってきたので、先を急ぎます。先を急ぐとは言っても、やっぱりこの断崖絶壁ロード。インド人たちは平然とすれ違いをしていますが…一歩間違えたら落ちるよね!!

さっきからそれしか書いてないような気がするのですが…
そうなんです。そこなんです!!

このスピティ・キナウルの旅は、ほぼ100%の行程が「断崖絶壁を行く旅」であり、「それが一週間続く」と言う世界でも最高に危険な旅なのです。

最初は「こわーーい!」とか言っていたのですが、そのうち慣れ、「なんで俺、こんな危ないところに来たんだろうなぁ…」としみじみ思うようになってきます。驚きが諦めに変わり、しみじみとした後悔に変わるくらい、断崖絶壁が続くのです。



道の下に落下しているトラックを発見しました。頭から落ちたらしく、ちょうど運悪く、運転席がまともにクラッシュしています。
「あれじゃ運転手助からなかっただろうなぁ…」



インナーラインパーミットのチェックポスト横にも壊れた4WD車が廃棄されていました。そこら中、事故車だらけ…。僕らは無事に目的地のキー・ゴンパにたどり着けるのでしょうか…



道路工事の労働者たちを満載したトラックが前を走ります。僕たちが進んでいるこの道路、写真を見ると、全く工事などされていないような感じではありますが、実は結構な規模で工事中でした。多くの人々が道路工事に携わり、色々な場所で工事が行われていました。



道はどんどん険しくなり、あたりはどんどん暗くなっていき…



いつしか風景は若き日に本で読んだ、藤原新也の世界に突入していました。荒涼とした山の中に集落がぽつんとある感じ…ああ、あこがれのチベット高原よ!!!!!



あたりは暗くなり…街灯も何もない中、車は一路ナコへ向かいます。当然、車の横は断崖絶壁。この暗い中でちょっとでも道を見落としたら、僕らはこの世からおさらばです。暗くなればなるほど生きている心地がしません…なんで、こんな死ぬようなとこに来ちゃったのかなぁ…

車の中では途中から米国人のデールがしきりに頭痛を訴えていました。
「デール、お前マナリで遊びすぎだよ!」とみんなに叱られるデール。
「風邪かなぁ…」



数時間後、あたりが真っ暗になってから無事にナコヘ到着。
ナコはもう完全にチベット高原の一部で、標高は4100m。富士山の山頂よりもまだ500m高い極限高地に到着しました。



宿の上に上がってみると…一面の星空が僕達を待っていました。文字通り、降るような星空。やはり標高4000mの星空は全く違います。ただ美しく、ひたすらに美しく、星に囲まれているようでした…



天空の湖と崖の寺院 - 世界で一番危険で、一番美しく、一番聖なる場所への旅(中編)へ続く…

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1 Comment + Add Comment

  • 凄い!メチャ過酷な旅ですね・・・よくぞご無事で。。。
    後編も楽しみにしてます。

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