アジア雑貨屋さんから見るコロナと世界
私たちティラキタは、色々なアジアの国々と毎日綿密に連絡を取りながら、アジアの文化と商品を紹介する仕事をしています。アジアに旅行に行くのが好きで、みんなが作った作品を見るのが好きで、20年間やってきました。ハンディクラフトを追いかけているうちに、いつの間にかアジア各国と取引をするようになりました。コロナが発生する前は、いろんな国に自由に旅行できましたが、今はどこに行くこともできません。現在は僕たちも現地に行けていないので、現地からの連絡をまとめる感じになりますが。
今、私達の目から、世界がどういう風に見えているのかをレポートしてみたいと思います。 ロックダウンが解除されて半月ほど経過し、インド国内でモノは準備できるようになったのですが、今現在、ティラキタで大きな問題になってるのが航空カーゴ料金の高騰です。2020年6月現在、航空カーゴ料金がコロナ前と比較すると3倍ぐらいの値段に跳ね上がっています。インドからの旅客の定期便はほとんど出ていず、カーゴ便だけが飛んでいるという状況なので、仕方ないと言えば仕方ないのでしょう。インドから船で荷物を送ることもできますが、インドからの海便は非常に日数がかかります。例えばデリーから荷物が来ることを考えてみます。デリーで荷物をパッキング。その後、トラックに乗せてムンバイへ。ムンバイで船を待って船に乗せてシンガポールへ。シンガポールで船を乗り換えて東京へ。何回も何回も乗り換えが発生し、そのたびごとに2日から一週間ずつ待つので、結果的にもの凄い時間がかかります。一番長い時で注文してから到着まで8ヶ月かかったことがありました。インドネシア、ベトナム、タイあたりだと一週間から10日で荷物が到着しますので、船便でも大丈夫なのですが、船便を利用するにはインドは遠すぎるのです。そのような事情なので、ティラキタでは普段から航空カーゴを使用していますが、あまりにもコストがかかるので、現在は船での発送を検討しているところです。 そして、なぜネパールからの荷物が最後になるかというのには理由があります。ネパールはヒマラヤの国で、海がありません。海がないというのは大変悲しいことで、効率的な海外との物流ができない事を意味します。ネパールから船便を送ろうとする場合、カトマンズからコルカタにトラックで荷物を送り、船に乗せることになります。カトマンズでパッキングしてトラックに乗せてインドの国境へ。国境で通関をして、またトラックに乗せ、コルカタへ。コルカタからシンガポールへ、そしてシンガポールから東京へ。このように非常に時間がかかり、そしてまた何回も荷物の積み下ろしがあり、途中でインドとネパールの通関があるので荷物の安全が保障されません。そういった事情でネパールからの荷物も、インドと同じく、航空カーゴで送っていました。この写真はカトマンズのトリブバン空港で今まさに飛行機に載せられる直前のカーゴです。
ネパールは観光立国です。
多くの人がヒマラヤを楽しみに海外から訪れます。私たちの注文した荷物は、観光に来る人たちが乗っている飛行機のお腹に乗せられて運ばれていました。現在の状況だと、ネパールの観光旅行が復活するのは、短くても1年後になるでしょう。すなわち、それまでネパールから航空便で荷物を出すことが難しくなる(できても非常に高くなる)と予想されるのです。
■インドの今と、インドにおける疫病の過酷さ
まだまだ感染者が増え続けてるのがインドです。収束の兆しは見えず、11月までピークを迎えないという風にも言われています。ロックダウンも1.0とか、2.0とかちょっとおしゃれな呼び方をして、現在外出が緩和されたロックダウン5.0をやっています。突然ロックダウンを始めたので、デリーやムンバイに出稼ぎに来てる人たちが、仕事が突然なくなり、帰宅しようとして大混乱に陥ったり。ロックダウンを破ったからという事でスクワットさせたり。コロナの怖さを皆に周知しようと面白いヘルメットをかぶったり。 色々な大混乱を引き起こしましたが、6月12日に70日間に及んだ完全なロックダウンを解除し、現在は街に出れるようになっています。感染者が増えても、死亡者がそこまで増えないということで、これ以上経済を止めることはできないという決断に至ったのでしょう。インドの歴史とは熱帯性の疫病との歴史です。そういう風に書くと、人類の歴史そのものが疫病との歴史だと言われそうですが、インドの歴史は私たちが考えているものより、更に過酷です。20年ぐらい前のこと、インドに初めて行った時ですが、ハンセン氏病の痕跡が残っている人がうろうろ歩いていたり、象皮病の人が自分の体を見世物にしてお金を稼いでるのを見て、非常に衝撃を受けました。Wikipedia
日本では表に出てこない現実があからさまになっていることが、ただただ衝撃でしかありませんでした。観光客が目に付くような所にも、そのような人々が歩いていたということは、インドの国内には多数の患者がいたと思われます。経済が発展し、医療が進歩した現在、そのような人々はあまり見かけなくなりましたが、病気自体がなくなったわけではありません。その一つがマラリアです。マラリアは現在でも年間に40万人がかかり、死者が多数出ている伝染病です。つい先日も、ムンバイの友人が母子共にマラリアにかかって入院したばかりです。何年か前もコルカタのタブラ奏者がマラリアにかかって日本への来日が危ぶまれたことがありました。News18
マラリアを防ぐために、ムンバイの街中では、フミグレーションと言って、このムービーの様に街ごと燻蒸していたりします。そのような感染症が普通に存在する環境の国なので、コロナの感染者が増え続けるからと言って、ロックダウンをいつまでも続けている訳にはいかないのでしょう。コロナはあるものとして、リスクを許容して社会を前に進めていくという、現実的な方法をとることになったのだなと考えられるのです。とは言うものの、やはり実際に現地に住んでる人達は、コロナを怖いと感じています。デリーのドグラさんは「仕事はしなきゃいけないけど、街に出るのが怖いよ」と言っております。毎日感染者が増え続けているよと、泣きのメッセージを送ってきます。