新人さんはネパール人! ティラキタがもっとアジアに!
昨日のことです。ネパール人がティラキタに働きに来ることになりました。ティラキタは長いことインドやネパール等の国々と仲良く仕事してきましたが、基本的に日本で働いているのは日本人だけでした。
まぁ、そりゃ、そうですよね。
日本で会社作ったら、いくら貿易の仕事してるって言っても普通は日本人だけの会社になりますよね。
僕らもずっと、日本では日本人だけで仕事していくんだろうなと思っていたのですが…まさか毎日ネパール人と働くことになるとは!! 運命って本当に判らないものです。
前回のメルマガで紹介した、地震で実家が壊れてしまったラムさんの妹さんのサラダちゃんが5年前から日本にやってきていました。一度日本に観光で来たら日本が大好きになってしまったそうなのです。
サラダちゃんは岐阜で日本語学校に通い、その後東京に移動し、学校に通っていました。
「ねえ、ラム。サラダちゃんの学費ってどうしてるの?」
「僕が出してるよ」
「え! ネパールから学費送金してるの?」
「そうだよ」
ネパールと日本には大きな物価の開きがありますので、ネパールから送金して日本の学費を出してあげるって大変なことです。
「学費ってどれ位?」
「年間、60万円とか、80万円とか」
80万円! 80万円は僕らにとってもそこそこ大きい金額ですが、ネパールでの体感感覚は300万円近くの金額になります。その金額を5年間出し続けてきたのかと…いくら、教育が大事だとは言っても、妹のために毎年学費を出してくれる兄ってなかなか居ないと思います。
日本に来て5年経過して。もう勉強することがないからネパールに帰ると思ったのですが、サラダちゃん、なんと、ティラキタで働きたいって言ってきました
「インドパパさん、私、日本で働きたいです」
「うん、どこかいい会社があるといいね」
「どこかじゃなくって、ティラキタで働きたいんですけど…
「え!! なんだって?」
「ティラキタで働きたいんです!!!」
「!!!!!!!!!!!」
ちょっと待って!!! うち、確かに君のお兄さんと10年位仕事してるけど、基本的には日本人ばっかの会社だよ。そんな事を言われても!!
とは言うものの、僕ら、彼女が非常に高い学費を払って勉強したことも知ってます。
地震で実家が壊れたことも知ってます。
ネパールに帰ったら、勉強したことが無駄になる事も知ってます。
「うーーん。ネパールに帰るとかってないの?」
一応、聞いてみます。
「ネパールに帰ったら、日本で勉強したことが無駄になっちゃいます。家、壊れちゃったし…」
「そっか…」
「私、お兄さんの会社で日本へ輸出する衣類のデザインを4年位やて、日本でも更にデザインの勉強しました。」
「そっか…」
「私、日本が好き! 日本に居たい!」
「そっか…」
「デザイン出来るんだよね?」
「やってました! 得意です!!」
「そうしたら、うちの会社でデザイナーとして働いてみるかい?」
「はい!」
という事で、サラダちゃんがメンバーに加わることになりました。正直、5年間も日本で良く勉強してきたよなぁ…と感心します。日本語もコミュニケーション取るには問題ないレベルになっていました。
最初はびっくりしたけど、よく考えてみたら現地の事情をよく知っているネパールの人がデザイナーであるというのは会社としては大きなメリットです。現地でできる事、出来ないことがすぐ分かりますし。困っていたことが解決しそうです。僕達が知らないネパールのあれこれや、ヒンディー語やネパール語の知識、料理の知識も聞けば知っている人が毎日いるって、彼らの文化を紹介しているアジア雑貨屋さん的には絶対にプラスです。
サラダちゃんが毎日働きに来るって事は、ネパールの商品を供給してくれるラムさんちと、完全に切って切れない関係になるってコトで、ほとんど家族みたいな関係になるって事だよなぁって思います。
20年前に初めてネパールに行ってネパールが好きになって以来、色々な形でネパールと関わってきましたが…まさかここまで深い関係になるとは。
まったく人生って不思議なものです。
さて、これから就労ビザの申請しなきゃ。
就労ビザの要件は完全に満たしているから問題ないはずだけど、僕達にとっては初めての事で不安です。
自分が行く時のインドのビザやネパールのビザは自分の責任だから失敗しても笑って済まされますが、今回は失敗できません。責任重大です。
サラダちゃんが入社して、ティラキタはこれからどんな会社になっていくのかなぁとは思いますが、私達の一番のモットーである「世界に一店だけしかない特別なアジア・インド雑貨屋さんを目指します」がより強化されることだけは間違いんだろうなって思います。
まぁ、そりゃ、そうですよね。
日本で会社作ったら、いくら貿易の仕事してるって言っても普通は日本人だけの会社になりますよね。
僕らもずっと、日本では日本人だけで仕事していくんだろうなと思っていたのですが…まさか毎日ネパール人と働くことになるとは!! 運命って本当に判らないものです。
前回のメルマガで紹介した、地震で実家が壊れてしまったラムさんの妹さんのサラダちゃんが5年前から日本にやってきていました。一度日本に観光で来たら日本が大好きになってしまったそうなのです。
サラダちゃんは岐阜で日本語学校に通い、その後東京に移動し、学校に通っていました。
「ねえ、ラム。サラダちゃんの学費ってどうしてるの?」
「僕が出してるよ」
「え! ネパールから学費送金してるの?」
「そうだよ」
ネパールと日本には大きな物価の開きがありますので、ネパールから送金して日本の学費を出してあげるって大変なことです。
「学費ってどれ位?」
「年間、60万円とか、80万円とか」
80万円! 80万円は僕らにとってもそこそこ大きい金額ですが、ネパールでの体感感覚は300万円近くの金額になります。その金額を5年間出し続けてきたのかと…いくら、教育が大事だとは言っても、妹のために毎年学費を出してくれる兄ってなかなか居ないと思います。
日本に来て5年経過して。もう勉強することがないからネパールに帰ると思ったのですが、サラダちゃん、なんと、ティラキタで働きたいって言ってきました
「インドパパさん、私、日本で働きたいです」
「うん、どこかいい会社があるといいね」
「どこかじゃなくって、ティラキタで働きたいんですけど…
「え!! なんだって?」
「ティラキタで働きたいんです!!!」
「!!!!!!!!!!!」
ちょっと待って!!! うち、確かに君のお兄さんと10年位仕事してるけど、基本的には日本人ばっかの会社だよ。そんな事を言われても!!
とは言うものの、僕ら、彼女が非常に高い学費を払って勉強したことも知ってます。
地震で実家が壊れたことも知ってます。
ネパールに帰ったら、勉強したことが無駄になる事も知ってます。
「うーーん。ネパールに帰るとかってないの?」
一応、聞いてみます。
「ネパールに帰ったら、日本で勉強したことが無駄になっちゃいます。家、壊れちゃったし…」
「そっか…」
「私、お兄さんの会社で日本へ輸出する衣類のデザインを4年位やて、日本でも更にデザインの勉強しました。」
「そっか…」
「私、日本が好き! 日本に居たい!」
「そっか…」
「デザイン出来るんだよね?」
「やってました! 得意です!!」
「そうしたら、うちの会社でデザイナーとして働いてみるかい?」
「はい!」
という事で、サラダちゃんがメンバーに加わることになりました。正直、5年間も日本で良く勉強してきたよなぁ…と感心します。日本語もコミュニケーション取るには問題ないレベルになっていました。
最初はびっくりしたけど、よく考えてみたら現地の事情をよく知っているネパールの人がデザイナーであるというのは会社としては大きなメリットです。現地でできる事、出来ないことがすぐ分かりますし。困っていたことが解決しそうです。僕達が知らないネパールのあれこれや、ヒンディー語やネパール語の知識、料理の知識も聞けば知っている人が毎日いるって、彼らの文化を紹介しているアジア雑貨屋さん的には絶対にプラスです。
サラダちゃんが毎日働きに来るって事は、ネパールの商品を供給してくれるラムさんちと、完全に切って切れない関係になるってコトで、ほとんど家族みたいな関係になるって事だよなぁって思います。
20年前に初めてネパールに行ってネパールが好きになって以来、色々な形でネパールと関わってきましたが…まさかここまで深い関係になるとは。
まったく人生って不思議なものです。
さて、これから就労ビザの申請しなきゃ。
就労ビザの要件は完全に満たしているから問題ないはずだけど、僕達にとっては初めての事で不安です。
自分が行く時のインドのビザやネパールのビザは自分の責任だから失敗しても笑って済まされますが、今回は失敗できません。責任重大です。
サラダちゃんが入社して、ティラキタはこれからどんな会社になっていくのかなぁとは思いますが、私達の一番のモットーである「世界に一店だけしかない特別なアジア・インド雑貨屋さんを目指します」がより強化されることだけは間違いんだろうなって思います。
素敵です!読んでてほっこりしました。ティラキタさんのこれからの展開をとても楽しみにしています。これからも応援してます。
サラダ。ちゃん頑張れ!インドパパの懐の深さに感激!! ティラキタの益々の発展を祈念します?。世界は一家人類は皆兄弟!(笑)