ネパールでボランティア活動をしている筋田さんに会って来ました

数年ほど前から、ティラキタではネパールとインドで活動をしている方々に寄付を行なっています。インドは政治が安定し、経済成長していますのでまだ状況は良いのですが、政治的に揺れているネパールは貧困が大きな社会的問題になっています。

ネパールには文字が読めず、学校に行く意味も判らない人たちが数多くいます。
ネパールにはお金がある人たちに、なけなしの土地を取られてしまう人たちがいます。
ネパールには医療費のために生きるための土地を売らなければいけない人たちがいます。

首都のカトマンズでも、紙袋を口に当ててスーハー、スーハーしているホームレスの少年たちがいたりして、決して良い状況ではありません。ネパールに行くと、嫌でもそれが目についてしまいます。「この状況、何とかならないのかなぁ…実際に動けるわけじゃないから、せめて寄付くらいは…」とは思っていましたが、正直、どこに寄付をすればいいのか全く分かりません。寄付しても、そのお金がどこに行ってしまうのか? それが分からなければ寄付なんて出来ません。

新聞広告を出しているNPO法人とか、雑誌とタイアップしているNPO法人とか。有名なボランティア団体さんはいくつもあると思いますけれども、国際ボランティアをしていると言っても、寄付した金額の90%以上は現地ではなく、日本のスタッフを養うために使われていたりするんじゃないの? だから広告出してるんじゃないの? 現地に落とすお金よりも、広告代のほうが大きいだろ? と、真剣に思っていたのです。

せっかく寄付するんだから、有効に使ってくれる人や、団体に寄付をしたい。もちろん色々経費はかかるだろうけど、できるだけ多くのお金を現地で使ってくれる人に寄付したい。できたら、ボランティアしている人を直接知ってから寄付したい。そう強く思っていました。

そんなある日、友達のネパール人の紹介で一人の日本人男性に出会いました。名前は筋田さん。岐阜ネパール会という名前でボランティア活動をされ、カトマンズの郊外で銀杏旅館という旅館をやっている男性です。



友達のラムさんの紹介で初めて会った筋田さんは着く所に筋肉がしっかりつき、早口で物事を明確に言う、竹を割ったような感じの人でした。歩く速度は凄く速く、僕達夫婦が追いつくのがやっとなほど。一見して普通の人とは違う印象でした。

インドパパ「筋田さん、カトマンズの郊外で旅館を経営されているんですか?」
筋田   「そうなんだよ。僕は、ボランティアをやっていてね。拠点が必要だから旅館をやっているんだ」


筋田さんの目は強く、離す言葉一つ一つに力がこもっています。

パパ「ボランティアをするための旅館なんですか? 生活費を稼ぐためとかではなく?」
筋田「ネパールにずっと居たいからね。旅館は建前で、本当はこっちで何か事業をすれば滞在できるからだよ」


ネパールは滞在ビザが必要で、ビザがあっても半年しか居られないインドよりもだいぶ緩いですが、それでも、外人がずっと簡単に滞在できるという訳ではないそうなのです。特に筋田さんのようにボランティアを長期間やりたいと言う事になると、色々面倒なのだとか。

パパ「そもそも、なんでネパールなんですか?」
筋田「僕はね、最初、ボランティアをしようと思ってこの国に来た訳じゃないんだよ。僕は山男だから山に登りに来ていたんだ。休みがあればすぐネパールにやってきて、ヒマラヤを登っていたんだ。」
パパ「エベレストとか? アンナプルナとか?」
筋田「色々行ったよ。現役時代は、ネパールに来ては山に登って、日本に帰って、またネパールに来ての繰り返しだったんだ」



ネパールは世界で14座しか無い8000mを超える山の8座がある、まさに登山家にとっての聖地とも言うべき地。ヒマラヤを追って幾度となくネパールにやって来た筋田さんは、いつしかネパールの人たちと交流し、そしてボランティアを始める様になったのだそうです。
パパ「そもそも、ネパールに何回くらい来ているんですか?」
筋田「数えきれないくらい…もう、何十年も来ているよ。このラムちゃんも山の中で、子供の頃に会っているしね」

と、横にいるネパール人の友人のラムさんを指します。つい先日、3人めの子供が生まれた彼が、30歳半ば位ですから、20年以上前からネパールに通っていたのです。



パパ「ボランティアを初められたきっかけは何かあるんですか?」

筋田「登山をしていた時に、ラムチェ村の人たちにお世話になっていんだよね。だから務めていた会社を定年退職したのをきっかけに、ラムチェ村の教育支援をしようと思ったんだ。でも僕はネパールの人のためにとか、ネパールが貧しいからという理由でボランティアをやっている訳じゃないんだ。ここで支援をすれば自分の勉強になるしね。自分自身のために活動を続けているんだ。最初から今まで、それは変わっていないよ。
パパ「それで、今、銀杏旅館を持ち、ネパールに住まれてボランティアをされているんですね。ボランティアしてて失敗された事とか、苦労されたこととかってありますか?」
筋田「いや、もう、苦労なんてもんじゃない。習慣が違うといえばそれまでだけど、本当にビックリしたり、嫌になってしまう事が多いんだ」
パパ「例えば?」
筋田「以前、学校を作ったんだ。それで子供たちに、給食を出そうと言う事になって」
パパ「給食、いいですね。給食があったら午後まで勉強してもらえますもんね」
筋田「最初の日は良くて、給食を出して。でも、次の日とか、一週間後になったらお昼の時間になるとみんなが学校に集まってくるようになったんだ。おじいちゃん、おばあちゃん、お父さんにお母さんに赤ちゃんまで。村じゅうの人たちが全員集まってきたんだ。タダでご飯が食えるって思ったんだよね」
パパ「あははは。それは凄い。昼になると、学校に村人が全員大集合するんですね」
筋田「そうなんだ。それじゃ困るから、色々説明したんだけど、なかなか判ってくれなくて」
パパ「それは大変ですねぇ…他に面白い話はありますか?」

大変と言いつつ、筋田さんの目は暖かく笑っていて、心からネパールを愛しているのが見て取れます。

筋田「半年くらい前の事かな。フランス人が、ここよりもっと奥地の所に風車を立てたんだ」
パパ「それもボランティアで?」
筋田「そう、現地の人達に電気を供給するために」
パパ「ネパール、電力事情悪いですもんね。風力発電だったら、電線を長く引かなくってもいいし、ネパール向きですよね」
筋田「それが、完成して程なくして、使って貰う予定だった現地の人達に壊れさちゃったんだよ」
パパ「え? それはどうして?」
筋田「風車ができると、悪いことが起きるって現地の人達が言って、せっかく作ったものをあっという間に壊しちゃったんだ」
パパ「ありゃーー そうなんですか…それは大変…やる気なくなりますよねぇ」

ネパールではたた単純にボランティアをすれば良い訳ではないそうです。例えばある村に学校を作ったら、隣の村の人達が嫉妬をして、物事が動かなくなるのだそう。その教育だって、村人たちが本当に必要と思っていないから、学校に来て貰うまでが大変なのだとか。ネパール人は嫉妬深く、色々な場面でそれが出てくるのだとか。筋田さんの口からは驚くような体験談が次から次へと出てきました。

パパ「筋田さん、ボランティアは大変だと思うんですけれども、いつまでボランティアを続けられるんですか?」
筋田「あと10年、体が動かなくなるまでかな。




強い意志と優しさを持った筋田さんと話をした後、僕たちが寄付を始め、その寄付金の行き先が筋田さんの元に行くのはあまりに自然なことでした。筋田さんの様に実際には動けないけど、ぜひ長く応援していきたい。そう思って、帰国後にお客さんと寄付金を半分づつ出しあう仕組みを作り、継続的にお手伝いできる体制を作りました。

これからティラキタでは筋田さんを応援していくのはもちろんの事、筋田さんが書かれているブログ、ネパール通信から折に触れて、ネパールの事情をお伝えしていこうと思います。旅人が知ることのない、本当のネパールからのレポートをぜひお楽しみに!!

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