ドバイとエスニック衣料の不思議な関係 カトマンズの衣料品工房を訪ねてみた
■日本にやってきたサラダちゃん
数年前、ティラキタにネパール人のサラダちゃんがやってきました。7年前、日本に初めてやってきて日本が大好きになり、日本語を5年間ほど勉強していたのですが、そろそろ働ける日本語力になったと言う事で、ティラキタに就職してきました。サラダちゃんって言うと、みんな、野菜サラダを思い浮かべ「可愛い名前だね!」って言うのですが、実際はヒンドゥー教の神様サラスバティにちなんだ名前で、サラスバティ=サラダと言う事なのだそうです。
今回は、サラダちゃんのお兄さんの衣料品工房の話をしたいと思います。
サラダちゃんのお兄さんであるラムさんは、もともとランタン谷の方の出身ですが、15歳の時にカトマンズにやってきて、旅人が集まるタメル地区で衣料品を売るアルバイトから、そのキャリアをはじめました。朝から晩まで旅人と話し、衣類を売り、お金を貯めて、自分のお店と衣料品工場を持つまでになった、ネパールならではのサクセスストーリーを持つ人です。
ラムさんと私達ティラキタが仕事を始めたのは、もう10年以上前になりますが、毎年何回も荷物を送ってもらったり、妹のサラダちゃんがティラキタで働くようになったりしているうちに、すっかり国を超えた家族のような存在になりました。
今回はティラキタの衣料品を作ってくれている、ラムさんの工場を訪ねてきましたので、実際にどの様にネパールの衣料品が作られているかをレポートしたいと思います。
■布地を作るのは別の工場
今回紹介するラムさんの工房は衣料品工房ですので、ここで布を作ったりはしていません。布は以前紹介した別の工房で作られてやってきます。
布の製作工程は日本の戦後を思わせる工場で作られるエスニック布ゲリの制作過程を徹底レポート!!をご覧ください。
■布を切るのがとっても大切!
ラムちゃんの工場に到着して最初に案内されたのは、布地を切って、服一つ一つのパーツを作るカッティングルームです。服を作る仕事の中でいちばん重要なのが、カッティング。カッティングとは大きな布地から、一つ一つのパーツを正確に切り出す仕事なのですが、正確さだけでなく、大きな布からどのようにして無駄なくパーツを切り出して行くかが、とても大切なのです。カッティングの良し悪しで、服作りとコストのすべてが決まります。
その重責を負うのがマスターカッターというお仕事です。
一気に布地を切り出すために、使われる機械がファブリック・カッターです。ファブリック・カッターを使うと、大きな布地を同時に20枚、30枚と重ねて一気に切る事ができます。この様な機械は、ネパールの工房だけでなく、インドの衣料品工房でも普通に使われています。
ファブリック・カッターは大量の布を一気に同じサイズに切れる便利な機械ですが、便利さには危険がつきもの。カッターの操作をちょっと間違えたり、カッターをちょっと違う方向に動かしただけで、サイズの違う布になり、服のサイズが変わってしまいます。
そして20枚、30枚の布がいっぺんに駄目になります。
マスターカッターが仕事に入りました。口も利かず、超真剣です…。
そりゃそうですよね…
■一つ一つ、ミシンで縫います
布を切った後は縫製になります。ティラキタ買い付け班全員で縫製ルームに移動したのですが、縫製ルームの前に大きな発電機がおいてありました。大きな発電機だね!! |
カトマンズには計画停電っていうのがあってね。1日のうち、8時間しか電気が来ないこともあるんだよ。 |
たったの1日8時間? |
そう。雨季だと発電所が動くからもっと来るけど。今は8時間だね。時期によって電気が来る時間が違うんだ |
でもネパールでは電気が来るのは当たり前ではありません。一日8時間だったり、10時間だったり、16時間だったり。そして電気が来ていたとしても突然停電もします。
縫製ルームの中では若いお姉さんがミシンの前に座って、冬用の手袋を作っていました。ニットで編まれた手袋にフリース生地を付ける工程です。
一個一個、丁寧にミシンでフリース生地をつけていました。
■丁寧に検品します
出来上がった衣料品は次に検品ルームへと送られます。日本や米国、ヨーロッパの人々が納得する商品を作るためには検品の工程がとても大切だそうです。検品に落ちた商品を見せてもらいましたが…どこが悪いのか全然わかりません!!!
ネパールの人たち、大変細かくチェックしています。
ジャケットの裏まで丁寧に細かく検品しています。
■ドバイにみんな行ってしまう
工房を見ていく中で、働く人の話になりましたねえ、ラムさん。マスターカッターとか、ミシンやる人ってどう募集するの? |
日本みたいな求人のメディアはないから、口コミとか、張り紙しておくなどの方法で見つけるよ |
働いてくれる人ってすぐに見つかるの? |
実はね、そうでもないんだよ。若い人たちはこの国では稼げないからと、みんな、ドバイやサウジアラビアとかに行ってしまうんだ |
そう言えば以前カトマンズから日本に帰る時、トリブバン空港で「いかにも山の中から出てきました」と言うような雰囲気をした人たちが、中東行きの飛行機を待っていましたっけ。
それはネパールに行くと必ず見る、普通の光景です。
その時はただ単純に「ああ、出稼ぎに行くんだな」と思っていましたが、それがネパール国内で人手不足を招いている原因の光景だとは思い至りませんでした。
ネパールの町中を歩いていても、若者よりも中年や老人の姿が目につきます。若い世代の割合が多いと言われる発展途上国ではないかのようです。ラムさんによれば、ネパールはこれから国を作るための若い人たちが足りないのだそう。若い人たちはみんな、お金を稼ぎに外国に出かけてしまい、国に残るのは働けない者ばかりなのだとか。
確かに、カトマンズ市内はまだまだ2015年のネパール地震の爪痕が残っています。地震から3年経過したのに、まだまだネパールは地震の後を感じさせます。処女神クマリの館が倒れそうなので、木でつっかい棒がされていまました。
人でごった返すカトマンズ市内ですが、倒れた建物の周りはフェンスで囲まれ、入れないようになっています。
市街地を抜け、ラムさんの工場へ向かう道です。あまりの荒れっぷりに呆然とします。地震の片付けもそうですが、社会的なインフラが全く整っていないのです。
地震が来てもそれを直す人たちがいない。
社会的なインフラを整備したくても働く人がいない。
その一因が、ネパールにはお金が稼げる魅力的な仕事がないという所にあります。
実際、ドバイに働きに行ったからと言って、バラ色なわけではありません。過酷な暑さ、圧倒的な低賃金、肉体労働。そして解雇されたら即、監獄行きという悪夢。
「地獄のドバイ―高級リゾート地で見た悪夢」という本によれば
2007年11月、僕はアラブ首長国連邦(UAE)のアブダビ中央拘置所に拘留されていた。 拘置所内にいたとはいえ、この国で何か犯罪を犯したわけではない。それにも関わらず何百人ものパスポートを持たない不法就労者とともに手錠をかけられ、投獄されていたのである。 あの時、僕はまさに人生のどん底にいた。 「なぜ、こんなことになってしまったのだろう?」 この疑問に対する答えを明らかにするためには、オイルマネーで史上空前の経済発展を遂げたドバイの負の側面を語らなければならない。 (まえがきより)
無実の罪で砂漠の拘置所にぶち込まれる。ホモセクシャルに支配された国。鼻持ちならないオイルマネー成金たち。あまりに劣悪で低賃金の労働環境。高級リゾートなんてとんでもない。俺にとってドバイは地獄だった。
煌めくドバイの高層ビルが、ネパールやインド人ワーカーたちによって作られ、そして彼らがちゃんとした待遇を受けていないドキュメンタリーもあります。
多くのネパール人たちは人買いの甘言をそのまま受け入れて、夢を見てドバイに旅立つのでしょう。でも、受ける待遇は現代の奴隷とも言えるものです。
僕はこの国の人たちが、外国に行かなくても働ける場所を作りたいんだ。 |
とラムさんは言います。
今、ラムさんは日本にネパールの衣装品を送るだけでなく、他の国にも販路を拡大できないかと単身米国にわたり、色々な所で開かれる展示会に参加して、頑張っています。
頑張ることは、自分のためであり、国のためなのでしょう。
夢と大志を持ったラムさんは、いつ会ってもエネルギッシュです。
僕らもまた、ネットショップという普段の活動を通して、ラムさんを、そしてネパールの人々の支えになればいいなと思います。
ラムさんたちが作ったネパールの衣類を売ることにより、少しでも、大好きなネパールの人達の力になれますように。
ティラキタでは、これからも変わらず、日々頑張って、ネパールからの素敵なエスニック衣料品を紹介し続けたいと思っています。
thank you umehara san and Tirakita group