もう旅行に行っても大丈夫だよ! ガンガン復旧が進むネパールの現在



■大分、復興が進んでいます!!!
昨年の4月に2度の大地震に襲われ、その後、インドから国境封鎖を受けていたネパールですが、今年に入って状況が落ち着き、街には観光客が戻ってきていました。

カトマンズ市内の個人所有の建物はほぼ復旧が終わり、一段落を迎えたと言える状況になっています。ボダナートやスワヤンブナートなど著名な観光地の復旧も急ピッチで進んでいます。

復興が進むカトマンズの今を、たくさんの写真でレポートします!

ボダナートも完全に修復されたようです。タイムラプス動画がありました。


■トレッキングルートの様子
トレッキングや登山はネパールにとって大切な収入源なので、震災後、優先的に復旧工事が行われました。ネパールの市内にガスがないときも、エベレスト周辺には供給されていたと聞きます。

一般的なネパール人の月収1-2万円に対し、エベレストへの入山料だけで1人110万円も取るのですから、当然と言えば当然の話です。登山隊は入山料だけでなく、他にシェルパや資材の調達など、多額のお金をネパールで使いますしね。

ネパール政府は、復興するための資金を稼ぐためにエベレスト登山者が欲しいのです。

地震による山津波で谷ごと消失したランタンはまだ復旧していませんが、エベレストベースキャンプ周辺、アンナプルナB.C.、アンナプルナ・サーキットなど、主要なルートは問題なく旅行できる状態にあるようです。物資も十分に供給され、震災前とほぼ同じ状態でトレッキングできるまでに回復しました。

カトマンズでも多くの旅行者がエベレストへ、アンナプルナへと向かっていく姿を見ました。ルートの状況は刻々と変化しますので、旅行前には現地のツアー会社に確認を取り、準備をしてからお出かけください。

■カトマンズ市内の様子
個人所有の建物はほぼ復旧が完了し、カトマンズ市内には、普通の日常生活が戻ってきていました。


カトマンズの台所、アサンチョーク周辺は買い物の人でごった返していました。10年前に比べるとバイクの数が非常に多くなり、その反面、サイクルリクシャが少なくなったのを感じます。


地震で多少傾いてしまったようで、つっかい棒で支えられている家が数多くありました。



■タメル地区周辺の様子
タメル地区の一番中心地点です。全く以前と変わりはありません。変わったのは中国語の看板が増えたことでしょうか。ここ数年、中国人ツーリストの増加が激しく「タメルは中華街になった」とネパール人が自虐的に言っていたのが印象的でした。


夜のタメル地区。タメル地区は以前よりも、格段に賑やかになった印象を受けました。


気になったのはマスクをしている人が多いこと。カトマンズやデリーはただでさえ埃っぽい所ですが、震災後は復旧のための工事で更に埃っぽくなり、外人観光客だけでなく、ネパール人ですらマスクをする様になったとのことです。サイクルリクシャのお兄さんも黒いマスクをしています。当然僕らもマスクを付けて歩きました。


昼間の様子。電線が絡まりまくっているのは…これはネパールではいつもの事です。


まだ建築中の建物もちらほら。ネパールでは足場は全部、竹で作られています。


■スワヤンブナートの様子
まずはスワヤンブナートの全景を。全く震災前と変わりがありません。震災後は多少ヒビが入ったようですが、ちゃんと復旧されています。全く問題ないように見えます。


スワヤンブナートのストゥーパ(仏塔)の裏手にある小さなストゥーパと、その奥の伝統的な建物も無事だった模様です。


スワヤンブナートには多くの人々が参拝に訪れていました。


ただ一つ、以前と異なったのがこの場所です。この場所には確か大きな仏様が入った寺院があったはずですが…きっと崩れたのでしょう。寺院の代わりに、トタンで小屋が作られていました。



■ダルバールスクエア周辺
大きな痛手を負い、復旧がまだ進んでいないのがダルバールスクエア周辺です。こちらは処女神クマリが住まわれるカトマンズ、ダルバールスクエア横のクマリの館。かろうじて倒壊を免れましたが、建物自体が傾いたようで、つっかい棒が立てられていました。


ダルバールスクエア横にあった、個別の寺院群は完全に崩れ、まだ復旧の目処が立っていない模様です。聞く話によると、個別に建てられていた建物は壊れやすかったそうです。

日本の全ての建物はそれ自体で自立し、建物同士は離れていますが、インドやネパールの多くの建物は、建物同士がくっつき、お互いにもたれ掛かるかのようにして立っています。そのようにして建てられた建物は、お互いがお互いを支え合って、レンガ造りにも関わらず意外と壊れなかったのだとか。



ダルバールスクエアの中に入ってみると、旧王宮ガディ・バイタックが足場に覆われていました。壁には大きくクラックが入っていて、地震の大きさ、怖さを思い知らされます。


旧王宮横の寺院も復旧中でした。完全に崩れたと聞きましたが、どうやら復旧できそうな状態ではあるようです。写真に写っている新しいビルなどは結構丈夫で、あまり壊れなかった様です。


小さな寺院にはやっぱりつっかい棒がされていました。このつっかい棒、本当に色々な所で見かけます。「棒なんかじゃ、焼け石に水だよね」と僕らは思いますが、きっと、それより他に方法がないのでしょう。やらないよりはマシなのでしょう。


ダルバールスクエア裏手の古い建物は全部無事でした。この角度から見る景色は20年前に初めてネパールを訪れたときと変わりがありません。


ダルバールスクエア裏手の小路に行くと、家がつっかい棒で支えられていました。これ、大丈夫なのかなぁ…いきなり倒れてきたりしないのかしら。「今の瞬間は大丈夫」と解ってはいても、やっぱり不安になります。


ダルバールスクエアからアサンチョークの方に向かう途中にある大きな怒れる神様カーラ・バイラヴは昔のままでしたが、昔よりも多くの人々で賑わっていました。ここは無傷だったようです。


■パタンの様子
まずパタンの全景を見てみたいと思います。おや、震災前とほとんど変わりませんね。確かに幾つかの寺院は完全崩壊しましたが、主要な寺院は残り、残った寺院たちは復旧中です。


パタンの街中も普段と大きな違いはありませんでした。


パタン、ダルバールスクエアの横の家々の屋根がぐにゃぐにゃと波打っていますが…きっとこれは経年変化によるものでしょう。風情があって良いものですね。


■地震の爪痕は色々な所に
とは言うものの、地震の爪痕は色々な所に残っています。これは震災で家が壊れた人に対して、ネパール政府が外国の援助を受けて配布したかまぼこハウス。必要最低限の簡素な家ですが、まだまだこの様な家に住んでいる人は多いそうです。


子供心に怖かったのでしょう。壁にこんな絵が描かれていました。この絵が長く残り、次の震災の際に、一人でも犠牲者が少なくなるように願わずにはいられません。


■ご注意:タイトルには「大丈夫だよ!」とはありますが、東日本大震災から5年後の2016年11月23日に余震が起きた事からも解ります様に、次の地震が絶対に来ない保証はどこにもありませんし、誰にも分かりません。つっかい棒をした家が突然倒れてきて亡くなる危険性だってあるとは思います。当然ではありますが、安全かどうかの最終判断はご自身でして頂きますよう、よろしくお願いいたします。
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