神輿に乗った神様が暴れる不思議 – クル・マナリ地方のお祭り
■インドは広く、様々な宗教がある
「インドは宗教国家なのか?」と思ってしまうくらい、インドには様々な宗教の人々が集まっています。ヒンドゥー教、イスラム教、ジャイナ教、キリスト教、仏教、拝火教、シーク教など、ありとあらゆる世界中の宗教が集まっていると同時に、その土着の宗教も数多くあり、宗教的な全体像はインド人にすらわからない、大変複雑な様相を呈しています。
今回紹介するのはインド北部のヒマーチャル・プラデーシュ、クル・マナリ地域の土着の祭礼です。クル・マナリ地域で行われているこの祭礼は、土着の神様信仰と、ヒンドゥー教が一緒になったものに見えるのですが、彼らは「これはヒンドゥー教だ」と主張して引きません。
彼らの頭のなかではきっと、ヒンドゥー教も、土着の宗教もあまり違いがないものなのでしょう。ヒンドゥー教が拡大していく過程で仏教を含む様々な宗教を取り込んで言った歴史を考えると、それはごく自然なことに思われます。
今回の記事の舞台になっている、クル・マナリはデリーから500Kmほど北のヒマラヤ山中にある街で、地図ではこのあたりです。
■まずはムービーで
どのような祭礼が行われているか、まずはムービーで。■クル・マナリ地方のお祭りは独特
今回、祭りがあったのはマナリから歩いて15分位の丘の上の集落で、市街地のマナリからたった15分離れただけとは思えないほど、非常に美しい自然の中でした。この地域独特の建物と、雪を頂いた山がとても素敵な組み合わせです。
彼が今回、お祭りを案内してくれたハリー君。父親は以前クル地方の議員だったそうで、現在はホテルとお店を所有している、名家のボンボンのハリー君。インドで行われたDANCE OF SHIVAでもその才能をいかんなく発揮した、色々な意味で大変面白い人物です。豪放磊落で、典型的なインド人をもっと濃厚に煮詰めた感じかなぁ。
家の前で神輿を待つのはハリーとその兄弟のディーパク、今回一緒に同行してくれたショタソ君、その娘と親戚たちです。ショタソ君は今回が初インド。ショタソ、初インドでこのお祭り見られるって相当ラッキーだよ!!
女性たちはクルショールと言う、伝統滝な衣装で着飾っています。このクルショールは、安いものでも1万円を軽く超える高級品で、全て地元の人々の手作りで作られています。
ドールと呼ばれる太鼓を鳴らしながら、神輿がやってきました。神輿の上には神様の顔が乗り、キラキラと光るきれいな布で装飾されています。神輿は2人で担ぐようにして作られていますが、大人2人でもよろめくくらい、結構な重量があるもののようです。
こちらは神様への捧げ物が入っているステンレスのお皿。彼らは神輿に向かって、花を捧げ、ミタイと呼ばれる甘いものを捧げ、お米を投げ、お金を捧げ、お香の煙を捧げます。
洋の東西を問わず、祭りの日は誰もがワクワクするもの。近所の家の人も全員着飾って外に出ていました
太鼓を打ち鳴らしながら、一軒一軒、丁寧に廻っていきます。
3時間後に、村の上にある広場に神様が最後にやってくるというので、行ってみました。
広場には既に多くの人が集まっていました。
待つこと10分。遠くで鳴っていたドールの音色がだんだんと近づいてきて、家々を回り終わった神輿が入ってきました!
熱気は最高潮に達します。神輿は肩の上に担がれていますが、神輿を担いでいる人は神輿の棒を持っていません。人々が言う所によれば、神輿の中に神様が宿った時、神輿が右に左にと揺れ始め、勝手に神輿が走り出すのだというのです。
大きな伝統的なラッパに、ヒマーチャル・プラデーシュで見かける伝統的な帽子。奥にいる女性たちも伝統的なクルショールを美しく着こなしています。デリーなどの大都会ではサリーすら少なくなっている現代インドですが、山の中にはまだきちんと伝統が残っていました。
広場に入って5分後…突然、神輿が左右に揺れ始めました!! 何かの力に引っ張られるように神輿が左右に揺れ、そして一方向に引っ張られていきます。
多くの村人が見守る中、神輿が揺れ続きます。右に、左に…担ぎ手は神輿が落ちないように必死になって支えていますが、神様の力のほうが強いらしく、横にいた人たちも神輿を支えに入ってきました。
ひとしきり神輿が暴れた後、神輿は地面に置かれます。どうやら、神輿に神が降りてきたらこの祭礼は終了の様でした。無事に神様を降ろせてホッとした表情の神主。村人たちは神輿にお祈りしに行き、礼拝をしています。
インドではお祭りの時にはしばしば無料で食べ物が振る舞われます。無料で振る舞いというと、1日10万食を無料で出していると言われる「聖者たちの食卓」と言う映画の舞台になったアムリトサルのゴールデンテンプルが非常に有名ですが、ここでもまた、小さいながらも地元の人々の好意によってチャイや甘いお菓子スージが振る舞われました。
こう言った振る舞いご飯はプラサード=神様からのおこぼれと呼ばれ、大きいも小さいもありません。ただ感謝の心を持って、ありがたく頂くものです。
民族衣装でくつろぐお母さんたち。色とりどりの民族衣装って、本当に美しいものです。
ティラキタは色々な辺境の土地に足を伸ばしていますが、やはりここ20年位、徐々に民族衣装を見る機会が減ってきています。この様に民族衣装を来た人々が集まった写真を撮れる機会もなかなか多くなく、民族衣装、民族音楽好きとしては大変嬉しい瞬間でした。
この日のお祭りはこれで終わり。
結構あっけなく終わってしまいました。
「あれ? 今日はこれだけ?」と思っていたのですが、これは何日間か続く、新年の儀式の一つだった模様です。
来週はこの次の話、「インドの街全体が無料食事会場になる!」をお伝えしますね。
お楽しみにーー!!!
■この記事を書くにあたり
この記事を書くにあたり、用語や歴史的背景など、きちんと調査したかったのですが、土地のインド人に聞いても「神輿に神様が降りてくるのだ」位のことしか言わず、また、関連書籍も、ネット上にも全く情報が見つからなかったので、表面上、こういうことが行われているよと言うレポートになりました。もし、この祭りのことについてもっと細かいことがわかる方がいらっしゃいましたら、ぜひご連絡ください。