ネパールの衣類工場に行って来ました!!
いつもティラキタで販売させてもらっているネパールの衣類たち。優しいコットンの肌触り、適度なエスニック感が素敵で人気のアイテムですが、実際、それはどの様にして作られているのでしょうか? 先日ネパールに行った際に、工場に遊びに行ってみましたので、早速レポートしてみます!!
ネパールの首都カトマンズの一角に海外向けの衣料品を作っている小さな工場が集まっている場所があります。道は舗装されていず、建物はレンガ造り。風が吹くと埃が舞うような場所ですが、その地域に行くと、色々な所からミシンの音がカタカタと聞こえ、建物の中からは忙しく人々が働いている雰囲気が伝わってきます。その中の一軒が僕たちティラキタがいつもお世話になっているラムさんの工場です。
「この辺はみんな、衣類を作っているの?」
「そうだよ。主にヨーロッパ向けで、日本向けをやっているのはうちと数軒だね」
「日本にネパール雑貨ってよく来ているけど…それでもヨーロッパ向けのほうが多いの?」
「僕たちはウール製品などの温かいものが得意だから、スイスやドイツ、英国など、寒い国によく輸出しているんだよ」
「なるほどね!」
「日本向けとヨーロッパ向けってなんか違うの?」
「それはぜんぜん違うよ。ヨーロッパ人は派手な色を好むけど、日本人は落ち着いたナチュラルカラーが好きだよね」
「あ、確かに!」
「また、クオリティは日本向けのほうが高く、ヨーロッパ向けのほうが低いんだ」
「判る気がする!」
「あと、体型が違うからサイズも違うよね」
「納得!! 言われてみればその通りだねぇ!」
という説明を聞きながら建物の中に入っていきます。建物は全部レンガ造り。以前メルマガでレポートしたレンガ工場で作られているタイプのレンガを使って作られていました。中の鉄骨はとても細いので、地震が来たらすぐに倒れてしまいそうですが、地震がないこの土地ではこれでも良いのでしょう。
レンガ造りの建物の中に入って行くと、まず、布の裁断をしている人の部屋に通されました。黒い布を何十枚も重ね、チャコペンで印をつけています。横には不思議な形をした電動の布カッターがあり、これで何十枚も一気にカッティングするのだそうです。このカッティング担当の人は、衣類工場で一番重要な人で、マスターカッターと呼ばれ、彼の腕が確かでないと、きちんとした衣類は作れないのだそう。
もう一つの部屋に行くと、10人くらいがミシンを踏んでいました。衣類を作るのだから女性ばかりとおもいきや、意外に男性が多く、年配の方もチラホラと混じっています。工場の中にはカッティング済みの布がひとりひとりの横にこんもりと置かれ、次に縫われるのを待っています。
「今、ここでは何を作っているの?」
「今日はパッチワークのバッグだよ。」
「働いているのは男性の人が多いの?」
「そうだね。海外への衣料品の輸出はネパールの大切な産業だし。お給料も高いのさ」
「へぇーーそうなんだ!」
「人を雇っても、条件のいいところにすぐに引きぬかれてしまってね…困ったものさ」
なんてボヤいているラムさんを横目に、ミシンをかけている人の所に近づいていってみました。僕たちでは絶対に不可能な凄まじい速さでミシンがけをしていました。使っているミシンはSHUNFAと言う中国製です。数年前までは日本のJUKI製のミシンが主流だったのですが…
「凄い速さだね」
「もう、10年もやっているからね」
と話しながらも、彼の手は休みません。あっという間にパッチワークのバッグを作ってしまいます。あまりにも凄いスピードでバッグができていくので本当にビックリ! これだったら一日に100枚でも作れる訳です。出来上がったバッグは後ろに積まれていました。
最後の部屋に行くと、優しそうな女性の人が検品作業をしていました。作った物を一個一個丁寧に検品しています。針が残っていないか、ほつれなどはないか、ちゃんと出来ているか、丁寧に検品していました。
彼らの多くはヒマラヤ近くの山村からやってきています。ネパールは国が貧しく、山村から出てきた労働者の多くはドバイなどの中東の国に出稼ぎに出てしまうのだそうです。出稼ぎ先のドバイでは人間らしい扱いを受けられず、慣れない環境で多くの人がこき使われ、ボロ雑巾の様になって帰国する人も多いのだとか。だから、ネパールの国内で仕事があるというのは大変素晴らしいことなのだそうです。
この様にして小さな工場で一枚一枚手作りされているネパールの衣類。作られた後、パッキングされ、空輸でティラキタまでやってきます。
ネパールの首都カトマンズの一角に海外向けの衣料品を作っている小さな工場が集まっている場所があります。道は舗装されていず、建物はレンガ造り。風が吹くと埃が舞うような場所ですが、その地域に行くと、色々な所からミシンの音がカタカタと聞こえ、建物の中からは忙しく人々が働いている雰囲気が伝わってきます。その中の一軒が僕たちティラキタがいつもお世話になっているラムさんの工場です。
「この辺はみんな、衣類を作っているの?」
「そうだよ。主にヨーロッパ向けで、日本向けをやっているのはうちと数軒だね」
「日本にネパール雑貨ってよく来ているけど…それでもヨーロッパ向けのほうが多いの?」
「僕たちはウール製品などの温かいものが得意だから、スイスやドイツ、英国など、寒い国によく輸出しているんだよ」
「なるほどね!」
「日本向けとヨーロッパ向けってなんか違うの?」
「それはぜんぜん違うよ。ヨーロッパ人は派手な色を好むけど、日本人は落ち着いたナチュラルカラーが好きだよね」
「あ、確かに!」
「また、クオリティは日本向けのほうが高く、ヨーロッパ向けのほうが低いんだ」
「判る気がする!」
「あと、体型が違うからサイズも違うよね」
「納得!! 言われてみればその通りだねぇ!」
という説明を聞きながら建物の中に入っていきます。建物は全部レンガ造り。以前メルマガでレポートしたレンガ工場で作られているタイプのレンガを使って作られていました。中の鉄骨はとても細いので、地震が来たらすぐに倒れてしまいそうですが、地震がないこの土地ではこれでも良いのでしょう。
レンガ造りの建物の中に入って行くと、まず、布の裁断をしている人の部屋に通されました。黒い布を何十枚も重ね、チャコペンで印をつけています。横には不思議な形をした電動の布カッターがあり、これで何十枚も一気にカッティングするのだそうです。このカッティング担当の人は、衣類工場で一番重要な人で、マスターカッターと呼ばれ、彼の腕が確かでないと、きちんとした衣類は作れないのだそう。
もう一つの部屋に行くと、10人くらいがミシンを踏んでいました。衣類を作るのだから女性ばかりとおもいきや、意外に男性が多く、年配の方もチラホラと混じっています。工場の中にはカッティング済みの布がひとりひとりの横にこんもりと置かれ、次に縫われるのを待っています。
「今、ここでは何を作っているの?」
「今日はパッチワークのバッグだよ。」
「働いているのは男性の人が多いの?」
「そうだね。海外への衣料品の輸出はネパールの大切な産業だし。お給料も高いのさ」
「へぇーーそうなんだ!」
「人を雇っても、条件のいいところにすぐに引きぬかれてしまってね…困ったものさ」
なんてボヤいているラムさんを横目に、ミシンをかけている人の所に近づいていってみました。僕たちでは絶対に不可能な凄まじい速さでミシンがけをしていました。使っているミシンはSHUNFAと言う中国製です。数年前までは日本のJUKI製のミシンが主流だったのですが…
「凄い速さだね」
「もう、10年もやっているからね」
と話しながらも、彼の手は休みません。あっという間にパッチワークのバッグを作ってしまいます。あまりにも凄いスピードでバッグができていくので本当にビックリ! これだったら一日に100枚でも作れる訳です。出来上がったバッグは後ろに積まれていました。
最後の部屋に行くと、優しそうな女性の人が検品作業をしていました。作った物を一個一個丁寧に検品しています。針が残っていないか、ほつれなどはないか、ちゃんと出来ているか、丁寧に検品していました。
彼らの多くはヒマラヤ近くの山村からやってきています。ネパールは国が貧しく、山村から出てきた労働者の多くはドバイなどの中東の国に出稼ぎに出てしまうのだそうです。出稼ぎ先のドバイでは人間らしい扱いを受けられず、慣れない環境で多くの人がこき使われ、ボロ雑巾の様になって帰国する人も多いのだとか。だから、ネパールの国内で仕事があるというのは大変素晴らしいことなのだそうです。
この様にして小さな工場で一枚一枚手作りされているネパールの衣類。作られた後、パッキングされ、空輸でティラキタまでやってきます。