牛糞で作る料理と、急速に電化&ガス化が進むインドの関連性
■インド人と牛の切っても切れない間柄
その昔、インド人は世界で唯一、石油がなくなった後に生き残る人たちだと言われていました。
石油が枯渇したら、化石燃料に依存している私達はきっと死んでしまいますが、インド人だけは生きていけると言うその理由は、牛がいるからだというのです。
インドでは牛は聖なる動物として扱われていて、牛を食べません。と言うのは多くの方が知っていると思いますが、実際にインドで牛がどのように活用され、どのように重要なのを詳しく説明していましょう。
まず牛は農耕用の動物です。
牛がいれば、簡単に田起こしができます。
いわば、牛はトラクターです。
牛は荷運びもしてくれます。牛の後ろに牛車をつければ何トンという重い荷物も運ぶこともできます。いわば、牛はトラックです。
牛は、燃料も作ってくれます。牛が出した糞はよく乾かせば日持ちがする、カロリーの高い燃料になります。こちらは礼拝用に使用する、乾燥させた牛の糞が売られている所です。
牛の糞は手で丸めて、平たい壁などにぺたりと貼り付けられて乾かされます。ガンジス河のガートの所にも、牛糞燃料がペタリペタリと貼り付けられていましたっけ。
これは春のお祭りホーリーの時の、キャンプファイヤーならぬ、牛糞ファイヤー。これだけの牛糞が集まるとすごい熱量になります。
乾燥されて燃料になった牛糞は、この様な牛糞タワーになり、保存されます。
牛は肥料も作ってくれます。燃料にしない牛糞はそのまま地面に放置しておけば、上質な肥料になります。
牛は薬も作ってくれます。インドでは牛のおしっこは病気を治す効果があるとして信じられています。
動画のように牛のおしっこを直接飲む人もいますし、薬局で薬として牛のおしっこが販売されているという話もあります。新鮮なメスの牛の乳を飲むという育毛法があるとも聞きました。
インドって本当になんでもあり! 聖なる水まで売り物に…と紹介したように、ボトルに入って、商品にまでなっています。
この様に牛は耕運機として、トラックとして、燃料として、肥料として、薬として、多方面に渡る多大な利益があるので、古代のインド人たちは殺してしまって食べるより、牛は生かしておいて有効に長いこと使うほうがいいと教えるために、牛を聖なる動物化させたのだと思います。
牛といえば美味しいものと考えている私たちですが、確かにこんなにも役に立つ動物をいきなり殺して、肉にして食べてしまうのはあまりにも惜しいような気がします。
インド人が実証しているように、石油を一切使わなくても、牛さえいれば生活が可能なのです。牛さえいれば、100%リニューアル、リサイクルでエコロジーな生活が可能です。
まさに牛は万能動物。神からの授かり物だと言うべきでしょう。
■料理も全て牛糞で
「牛糞燃料がインド人の生活に密接に関わっていた」ということは、料理も全て牛糞で行われたということです。
牛糞で料理を作るの??と驚くもしれませんが、実際には燃料として使うだけなので、衛生的には全く問題がありません。
また、牛糞をバーベキューの炭のように使用すると、牛糞から独特の燃焼臭が出るので、それが料理を美味しくするとも言います。牛糞の炎、煙、灰が料理に特別な味を付け加えるのです。
炭火焼きならぬ、牛糞焼きですね。
■牛との共生生活も近代化には逆らえない
とはいうものの。
インドの近代化に際して、このように大切にされてきた牛、そして牛糞燃料も徐々に廃れつつあります。
その理由は悪名高い大気汚染です。
牛糞燃料を燃やすと、煙がモクモクと出て、深刻な大気汚染の原因になりますので、牛糞燃料は徐々に禁止されつつあります。
デリー空港に到着するとなんとも言えないインド独特の香りが空気を被っていましたが、それはこの牛糞燃料と石炭を燃やした匂いだったのでしょう。最近、そのインドならではの香りが減ったなぁと感じるんですよね。
牛糞燃料は天然ガスや灯油などよりも、はるかに多くの煙を出します。牛の糞を天日で乾燥させただけものですし、土や藁など、色々混じったものを燃やす訳ですから、煙が出るのは当然です。
インドの深刻な大気汚染の軽減とインドの近代化を目的として、モディ政権はインドにおける燃料の近代化を急速に推し進めています。危険で不便な牛糞や木などの伝統的な燃料を廃止し、安全で近代的なLPガスを使おうと言う政策です。
2015年にはインド全域で58%だったプロパンガスの浸透率ですが、3年後の2018年には80%のインド人がプロパンガスで料理を作るようになりました。
家庭の主婦たちもきっと楽になったことでしょうし、大気汚染も減ったでしょうし、インドの近代化自体は大変喜ばしいことだと思います。
■神から与えられた牛から離れるインド
その反面、100%リサイクル、エコロジーで循環型社会を構築してくれる牛からは離れる事になってしまいます。
耕運機として、トラックとして、燃料として、肥料として、薬として万能だった牛は、宗教的には大切な存在ではありますが、実際の生活上は徐々に時代遅れのものとして扱われつつあります。
インドは既に、石油が枯渇した後に生き残るインドではなく、世界人類と一緒に死んでいくインドに変わってしまいました。
これから50年間、100年間のインドにとって燃料の近代化は正しいことだと思うのですが、それが実際にインド人が歴史を生き残るのに正しい選択だったのかどうかは、何百年か後の歴史の審判を待たねばならないのでしょう。
はじめまして。
とても興味深く読ませていただきました。
インドの牛を神聖視する理由が、こうした実利面から来ているという考えは全く思いつきませんでした。
最最近インドに赴任してきて、頭の中にたくさんのはてな?があったのですが、記事を読ませていただいてインドの奥深さを知れた気がします。
これからも記事楽しみにしています。