神と一体になる音楽と、瞑想の世界にいざなう音楽のこと
■インド古典と言っても色々
今回は、広くて深いインドの古典音楽についての話をしてみます。つい先日、インド古典声楽のドゥルパドのコンサートに行ってきました。東京の慈念寺というところで行われていたコンサートで、多くの熱心なお客様が詰めかけた、本当に素敵なコンサートでした。
このドゥルパド。日本ドゥルパド協会と言う有志の団体があり、アーティストの招聘などを行っているのですが、「そういえば、うちのブログでドゥルパドの記事ってまだなかったよな…」と思いまして。
ティラキタならではの視点でドゥルパドを、そしてバウルを、紹介してみたいと思います。
インドに誘われてから、かれこれ30年近くが経過しようとしています。
もういい加減インドをは見飽きたよ。
もう、掘り尽くしたよ。
っていつも思いますが、でも、未だにインドは、新しい顔を見せ続けてくれます。
ティラキタ買付班、聖なるガンジス川の街バラナシでインド古典音楽を習っていたこともあり、インドの音楽には詳しいつもりでした。インド音楽が好きで、お店の名前をタブラを叩くときの音の表現であるティラキタにした位ですしね。
インドに通って楽器を5年も習ったんだから、大体の事はわかるよ!って思っていました。
でも。
でも。
やっぱり全然知らなかった。
インドのことなんて全然知らなかった!!
今回は、ここ近年、徐々にその精神性を理解し始めている、2つのインド古典音楽について書いてみたいと思います。
■瞑想の世界にいざなう音楽ドゥルパッド
インドが本当に凄いなって思うのは。
世界の本質にド直球で攻め込むからでしょうか。
世界の本質っていうのは
・自分たちの意識がどうなっているのか
・この世界はどうなっているのか
・神とは、そして宇宙とはなにか
って言う本当に根源的なところの事です。
現代科学は、宇宙の秘密を、数学とコンピュータと望遠鏡の力で解き明かそうとしていますが、インド人は古来から精神の力で解き明かそうとしてきました。
私達は現代科学を信じていますから、現代科学=正しい、精神世界=怪しいと一方的に捉えがちですが、現代科学の粋を集めてでた結果と、インドの古典にかかれている内容にある一定の類似性があるという話もあります。
ヒマラヤに籠もったり
瞑想とヨーガをしたり
宗教的アプローチで宇宙の真理に迫ったり。
出家してサドゥとなり、この世の秘密を探求する方々もいます。
真理に迫るその方法は様々ですが、その方法論の一つに、ドゥルパドがあります。
ドゥルパドは、インド古典声楽のひとつ。
声を使ったとても瞑想的な声楽です。
こちらは若手女流ドゥルパドシンガーのPelva Naikのドゥルパド。
こちらは日本にも来日したことがあるウダイ・バワルカル氏のステージ。
ドゥルパドは、メロディとリズムから構成される一般的な音楽とは大きく異なるのが特徴です。歌われているものは、音楽や歌という認識を通り越した、瞑想世界に誘われるためのなにかです。
ドゥルパドでは、音を用いて、精神を瞑想世界に突入させ、この世界の秘密の一端に迫ろうとしているかのように見えます。
インド哲学ではこの世界はオーンという音から始まったと信じられていますが、インドの哲学、そして古典文化において、音というものは非常に特別なものとして扱われています。
インドには、音を通じて根源的な意識であるアートマンに到達するという瞑想方法もありますし、音と意識の深い関係性にはるか昔から気がついていたのだなと思うのです。
■神と一体になるバウルのこと
もう一つの音楽がバウルです。
バウルはコルカタ付近のウェストベンガル州あたりを中心として活動している吟遊詩人たちのこと。弦が一本だけのエクタラという楽器を持って、村々を歩き、演奏をして暮らしています。
バウルについては、検索すると、バウルのことを追求している日本人の方々の記事がたくさん見つかりますので、詳しい紹介はそちらに譲るとして、ここでは以前、インドのゴアで演奏会を企画した時の話をしてみたいと思います。
コロナがちょうど始まる年の春のことですから、2020年の2-3月のこと。
インドのゴアでインド古典音楽の演奏会を企画していました。ゴアって言うと、ヨーロッパからのヒッピー的な旅行者が多い場所というイメージですが、手つかずの自然が多い、南国の田舎でもあります。
有名なアンジュナビーチからスクーターで30分くらい行ったところに小さなお寺がありまして、そこでコンサートをやることになりました。黄色がベースのなんだかとっても派手なお寺さんでのコンサートです。コンサートというよりも、どちらかというと、奉納演奏ですね。
こちらがお寺さんの祭礼の告知。人の背丈の7割位ある大きな看板の…あ!! 一番下にちょこんって書いてある!!!
一ヶ月くらい前に、ちゃんとアーティスト写真も送ったのに、一番下に小さく文字だけの告知…寂しい!! せっかく日本から行ったんだからもうちょっと写真つきとかにしてくれよ!!
夕方からコンサートが始まり、ドゥルパドのShreeさんとカネコテツヤさんにご出演頂き、次にサントゥールの宮下節雄さん。そして最後がバウルのショッタノンド・ダスさんでした。
お客様もほぼほぼ満員御礼!! インドのお寺のコンサートはいつも地味ですが、せっかくだからと日本から行ったVJさんが素晴らしい映像を写してくれました。
こちらは他の時の動画ですが、ショッタさんのステージはこんな感じでとっても素敵でした。
し・か・し………終演の時間がやってきてもショッタさん、ぜんぜんステージから下りてきてくれません。予定の演奏時間を遥かに超えて、延々と演奏し続けます。
ショッタさん、ぜんぜん終わらないけどどうしよう?
うーーん。困ったね。仕方ないから片付け始めるか…
と口々に言いつつ、ショッタさんがステージで演奏を続けている中、椅子の片付けを始めることになりました。お客さんはとっくに帰り、会場の電気は消え、椅子が片付けられる中、まだまだショッタさんは演奏を続けています。
いや、こんなの初めてだよ。ショッタさん、全然終わってくれないよ…
全部片付け終わっても、ショッタさんの演奏は終わりません。仕方なく、ステージで歌い、踊り続けるショッタさんをおいて、宿に帰ったのですが、演奏を終えたショッタさんが帰ってきたのはその1時間後くらいでした。
その姿を見て思ったのは。
ショッタさんは、もはや観客に対して歌い、踊っている訳ではなくて。
彼の中の内なる神に対して歌い、演奏を奉納しているんだなぁ…と深く深く感じ入ったのです。
内なる神に対して真摯になると、もはや周りは見えなくなり。
ステージの電気を消されても
椅子を片付けられても
みんないなくなっても
そんなのはただの世間の雑事であり、神と宇宙への大きな愛とは比べ物にならないと言うことなのだろうと。
そう思うしかない出来事なのでした。