[ティラキタ20周年記念記事]20年前のインドをふりかえる


■20周年ありがとう!!
この8月でティラキタは20歳を迎えました。

インドに行ったり、雑貨を発見したり、工房を訪ねたり、お店のシステム作ったり、商品写真を撮ったりと、色々なコトがありましたが、無事に20周年を迎えることができました!!

皆様、20年間本当にありがとうございました!!!

さて今回は、始めた頃のインドの写真などを見ながら、20年前のインドがどんな感じだったのか、ちょっと振り返ってみたいと思います。

■商売のすべてを教えてくれた恩人


バラナシの小さな通りを歩いていると、日本人を見かける度に「ナカヤムゲンドー」と声をかけている男性がいました。その男性こそ、実質的なティラキタの生みの親であるビッキーさん。「インドの布を日本で売りたいんだが」と言うと、彼が知っていた、輸入商売のやり方を、事細かに教えてくれたのでした。

彼がいなかったら、最初の一歩を踏み出せず、商売を始めることもなく、今のティラキタもありません。私達ティラキタは、商売のやり方をインド人に教わり、インド人のやり方で仕事してきました。

在庫を持ちまくるとか、他の人達が持っていないものを売るとか。在庫を持つのが悪とされる日本的な考えで行けば、ダメ経営とされることばかりをやってきましたが。今考えると、インド流もなかなか良かったのだなと思うのです。

日本流に固執しなかったことが、結果として20年間続けられる遠因になったのかもしれません。

■大量の札束




ティラキタの一番最初の買付の時に両替した札束です。この頃は高額紙幣がなかったので、20万円ほどを両替したらこんな札束になってしまいました。

この頃は、お札をホチキスで留めるという謎の習慣がインドにあって、どのお札にも穴が空き、お札が使われていくうちに何回もホチキスで留められて、
あっという間にお札がボロボロになってしまう
ものでした。

お札を100枚ごとに留めると言う習慣は、札束の中から紙幣が抜き取られたら困るからだそうで。いかにも他人を信用しないインドらしい習慣でした。

お札をホチキスで留める習慣は、現代のインドにはありません。
時代が進むにつれて、いつの間にかなくなっていきました。

■誰もスマホを持っていない





誰もスマホを見ていない。
誰もスマホを持っていないのが印象的な一枚です。

女性はサリー率が高くて、パンジャビドレスを着ている方もちらほら。男性もクルタパジャマが多めです。今は、サリーの人は依然いるけれども、もっと洋装率が高くなっています。


■パハールガンジを歩くゾウ




日本に比べると、今でも、インドは動物天国ですが、20年前はもっともっとはるかに動物天国でした。

牛や馬、ヤギが路上で仲良く寝ていて、猿は屋根を伝って飛び跳ねていて、鳥の数も尋常でなく多いという、
動物園の中で人間が一緒に暮らしている
と言う状態でした。動物たちの数は今の3倍位? 5倍位? いやもっといたでしょう。

インドを訪ねる度に、動物たちの数が少なくなっていって、インドも経済成長しているんだなぁと言う気持ちとともに、寂しさも同時に襲ってきたものです。

■牛車が堂々と




2020年代になっても、まだまだインドでは牛車が使われていますが、20年前は現役でした。背中にコブのあるインド牛が、台車を牽いて車道を走っている姿を毎日のように見かけたものです。

オールドデリーとニューデリーの間は、今はメトロで移動しますが、タンガーと呼ばれる牛車で行き来したものでした。

■機械式のタクシーメーター




インドのタクシーというタクシーは、アンバサダーと言う国民車であり、運転席の前には、機械式のタクシーメーターがついていました。

乗り込むと、ドライバーがそれをガチャっと廻して走り出すのですが、外人と見るやメーターを回さずに走り出して、法外な値段を請求しようとしたり、走る前からメーターが回っていたりと、タクシードライバーとはいつも戦いでしたっけ。

そのうちインフレにタクシーメーターが追いつかなくなって、紙の換算表が出現したのですが、最初にその換算表を見た時は
「俺は絶対騙されている」
と信じて疑わなかったものです。

■コルカタの人力車




今でもまだちょっとは残っているはずですが、コルカタには人力車が走っていました。

後ろの黄色い車が、かつてインドの国民車だったアンバサダー。インドにはこの車しかない!って言う時代もありましたっけ。

記憶が定かではないのですが、今いるリキシャワーラーは仕方ないとして、新しいリクシャワーラーのライセンスを発給しなくしたんだったかと思います。コルカタのリクシャワーラーは高齢化して、いずれは消えゆく運命と聞いています。

■ムンバイの近郊列車




20年前のムンバイの近郊列車です。古色蒼然たる感じですが、ムンバイでは、ちょっと色を塗り直しただけで、今でも似たような車両が走っています。

インドって、結構変わるようでいて変わらず。
古きものがそのまま残っていたりもするものです。

この近郊列車ですが、20年間の間に、どんどんと路線を広げ、発展するムンバイを支え続けています。

■100% NO BEEF




今でこそ、インド全域にチェーンを広げているマクドナルドですが、その第一号店がムンバイにありました。ムンバイに第一号店だけを出店し、何年もリサーチを重ねて、インド人の嗜好や習慣をビジネスに組み込んだ後に、全国展開していくという、
用意周到な出店戦略
をとったのですね。

インドを旅行している時に、貴重な逃げ場として嬉しかったマクドナルドですが、ヒンドゥー教のお国柄だけあって、やっぱり100% NO BEEFでした。

■切符の予約は大仕事だった




今ではオンラインでインド国内のすべての列車の予約ができるようになっていますが、その昔は、予約用のコンピューターがある駅に行かなければ、電車のチケットを取ることができませんでした。

私達外人は外人専用のブッキングオフィスがあり、外国人予約枠も用意されていたので、比較的簡単に予約を取ることができましたが、それでも「今日は電車のチケットを取るぞ!!」と意気込んでいかなければできない大仕事でした。

そして外人専用の窓口が用意されていない場所だと、こんなインド人の渦の中で押し合いへし合いして取るしかありませんでした。

■娯楽の王様だったインド映画!!




今でこそ、みんなが携帯を持ち、ネットでゲームばかりしていますが、その昔、娯楽の王様といえばインド映画でした。インドは世界一の映画の制作本数を誇る国で、年間2000本の映画が制作されています。

シャー・ルク・カーンや、アミターブ・バッチャン、マドゥリなどのスターたちが銀幕を飾り、街には流行の映画の曲が流れ、すべての流行が映画を通してやってきました。

楽しそうだからと思って映画館に入ったら、字幕はないわ、3時間も上映するわと、映画の文法の何もかもが違うことにびっくりしたりしましたっけ。
■ガンジス川を流れる死体




きっとこれは20年経過した今でも変わってないのでしょうが、バラナシの対岸には死体が流れ着いていて、ボートに乗って間近まで見に行くことができました。

死というものが包み隠されている日本を旅立ってインドに行ったとき、死があまりにもあからさまにそこにあり、心の底から衝撃を受けたのを昨日のことのように思い出します。

■好奇心旺盛なインド人




インド人は基本的に好奇心旺盛な人々です。これは、その頃に出会った旅人ですが、彼が路上で三脚を立てて写真を撮ろうとしたところ、警察官や路上の人々など、何人もが集まってきて、彼が撮る写真よりも、彼のほうが面白くなってしまった一枚です。

20年前は写真一枚撮るにしても、いきなり入ってくるインド人がいたり、写真を撮られたがるインド人、撮られただけで満足して握手していくインド人など様々な人々がいましたっけ。

流石に今のインドで写真を撮ると言って人が集まることはないでしょうね。

■飲んだら下痢確定の水売り



暑い国インドでは水が欠かせません。40度を超える酷暑期には、一日に3-4リットルもの水を飲まなければ、脱水症状になりますから、生存のためにも無理やり水を飲む感じになります。

定期的な給水が本当に大切なので、インドではこの様な水屋台と言う商売があります。

今では逆浸透膜で濾過した安心な水が、この様な路上の屋台でも手に入りますが、20年前の水売り屋台の水はきっと、井戸水だったに違いありません。

初心者旅人で何を口にしていいか解らなかった頃、インドに入って2日目にこの水屋台の水を飲んで、旅行している間、ずっと滝のような下痢に悩まされましたっけ。

■窓がインド風なジャンボジェット




もう退役してしまいましたが、以前日本に飛んできていたAir Indiaのジャンボジェットの窓枠のデザインが好きでした。

窓枠の赤いデザインがいかにもインドのマハラジャの邸宅みたいで、インドに飛ぶ前からインド気分を味わい、ドキドキしたものです。

■20年ありがとう! 大感謝セール中です!!


20年間、本当にありがとうございました!!! 現在、ティラキタでは20年間の感謝の気持を込めて、大感謝セールを行っております。

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