インドの神様は日本の神様と一緒ってホント? 日印の神様名を比較してみる
■インドは日本文化の母である
インドは中国の先にあるとっても遠い国だと思っている私達ですが、実はインド文化は、日本文化の発展に大きな影響を及ぼしています。インドの文化がなければ、日本の文化は今日のようではありません。
「文化的に言えば、インドは日本の母である。インドは数世紀にもわたり、特徴的な方法で、日本の思想と文化に影響を及ぼしてきた。....インドの影響がなければ、日本文化は、今日の様相を呈していなかったであろう。ほとんどの日本人は自らを仏教徒と称している。言うまでもなく、彼らは総じてインド思想に大きな影響を受けてきた」(中村 元) [1]
その中でも一番大きな例が仏教です。日本の至る所にお寺があり、門前町が形成されてきた歴史を見ても、日本文化形成の中心に仏教があることは明らかです。禅であったり、茶の湯であったりと言う文化も、仏教とお寺がなければ、今のような形になったとは思えません。そして仏教は御存知の通り、インドからやって来たものです。
また、日本の寺社仏閣で祀られている多くの神々は、古来インドにその起源を持ちますが、これらの神々は隣国である中国を経由して入った来たため、それがインド由来であるとは認識されていません。
今回はインド文化が日本にどの様な影響を与えてきたかを概観し、インドの神様と日本の神様の対比をしていきたいと思います。
■インドからやって来る過程で変わる名前と形
古来より、宗教や楽器など様々なものがインドからやって来ましたが、インドから日本までやって来るうちに、長旅を経て、多くのものは名前や形を変えました。
例えば、日本のお墓の後ろに立てる木の板。卒塔婆(そとば)といいますが、これは元々はストゥーパが語源で、ストゥーパを漢字に音写したのが卒塔婆です。ストゥーパとは、お釈迦様の遺骨である仏舎利を納めておくための仏舎利塔のことで、ドームの上に塔が立った独特の形をしています。それがインドからヒマラヤを越え、中国を経由して日本にやって来たら木の板になってしまいました。
■インドからやってきた言葉
実は日本語の中にも、インド由来の言葉が多く存在しています。
先程のストゥーパは、日本語の塔の語源になっています。ストゥーパが音写されて卒塔婆になり、それが高い建物を意味する塔に変わりました。
死者を火葬する時に使用する荼毘(だび)は、パーリ語の、燃やす、点火する、火葬するを意味するジャーペーティに由来するそうです。
死者を悼む時に使う供養は、サンスクリット語のプージャーに由来し、食物や衣服などを仏法僧や死者の霊に供える意味があるそうです。
現世を意味する娑婆(しゃば)は、サンスクリット語のサハーに由来し、耐え忍ばなければならない世界を意味するとのこと。[2]
他にも三昧、修羅場、刹那、奈落、彼岸、涅槃など、サンスクリット語が日本語になった例はたくさんあります。
■インドと日本の神様対照表
物、言葉だけでなく、日本の神様の多くも実はインド由来です。日本の神様の多くがインドからやってきたことはあまり知られていませんよね。
例えば、ヒンドゥー教の神の1柱、創造神であるブラフマーは、仏教においては釈迦が悟りを開いた際、世界に広まることをためらった釈迦の後押しをした“梵天”として日本でお祀りされています。
ブラフマーだけでなく、シヴァも、ラクシュミーも、ガネーシャもインドから姿を変えて、日本にやってきていたのでした。
わかりやすいように、一覧にしてみました!