Road to Goa – アンジュナ名物ウェンズデイマーケット

■アンジュナ名物ウェンズデイマーケット
次の日はいよいよ水曜日。アンジュナ名物ウェンズデイマーケットはとにかく巨大だった。バイクを有料駐車場に止め物乞いを振り切ると、路上は延々と露店が続く市場と化していた。

カレーなどの香辛料、パーティー用の服、ガネーシャの置物などの土産物屋にCD屋、トラベラーが手作りしたアクセサリーなど、ありとあらゆるものが売られている。出店者のほとんどはインド人だが、ヨーロッパ系の人が出店するお洒落な雑貨店もちらほら。値段も強気。

渡されたチラシを見ると、このマーケットとは別にサタデイナイトマーケットと言う夜市もあり、こことは別会場で毎週末やっていると言う。2月のハイシーズンとは言え、この規模が毎週とは凄い。

ゴアが世界中から人の集まる観光地になっていることがよく分かった。せっかくだから記念にとCD屋でシバプレイスのコンピCDを買ったが、日本に帰ってから開けるとビニールに包装されていたのに中身のディスクが傷だらけだった…。







■ローカルの人々の普通の生活を見るのも楽しい

この日はアンジュナビーチのカフェで友人たちと夕陽を見た。二日目のようなサンピラーこそ出なかったが、ゴアでは珍しく羽の形のような雲が一つぽっかりと浮かんでいた。

夕陽は同じものが二度と無いので、毎日見ても全然飽きない。日本にビーチリゾートが乏しいのは、観光地にサンセットのポイントが少ないことも関連してると思う。



次の日バイクで北のオズランビーチからアンジュナを挟んで、南のカランギュートビーチまでを広範囲に散策。インドのハードコアな交通にもすっかり慣れ、景色がいいところがあればすぐにバイクを止めて撮影して回った。

緑の芝生でサッカーをする少年たちなど、ローカルの人々の普通の生活を見るのも楽しい。それに天然の良港が多いゴアにはポルトガル時代に築かれた要塞跡や灯台が無数にあり、歴史好きはそれらを巡るだけで十分楽しめる。赤土の煉瓦で作られた要塞は風景に馴染み、どこもたくさんの観光客で賑わっていた。






この頃になるとインドのリゾート地として発展するゴア州の全体像もおぼろげながら分かってきた。トランスパーティー=ゴアと思っていたが、実際それはアンジュナ周辺だけでそのビーチは本当に小さい。そのアンジュナもビーチ付近に巨大な駐車場が建築中だったり、怒涛の開発ラッシュでその姿は変貌の一途を遂げている。






この日夕陽を見たバガビーチなどは圧巻で、九十九里浜のような長大な砂浜が視界の果つるまでビーチハウスとインド人で埋まっていた。店から流れてくる音楽もEDMなどが多く、白人の姿もほとんど無い。

完全に湘南のようなローカルの海水浴場の景色。「I Love Goa」と書かれたお揃いのTシャツを着た若いインド人の集団が、目の前で次々に海に飛び込んだ。




■アンジュナはそれほど立地のよくない隠れスポット

思うにアンジュナは昔ヒッピーのヌーディストビーチだったことからも、それほど立地のよくない隠れスポットだったのではないだろうか。

崖の下にあり岩場が多く、潮が満ちればあっという間になくなってしまうその砂浜に地元の人たちは寄り付かなかったが、ヒッピーたちにとってはインドにあってヨーロッパの香りのする楽園だった。

現在中産階級が増えつつあるインドでそんな場所がアンテナとなって、ゴアのビーチリゾートが富裕層たちの間でイケてる観光地として注目されるのは、考えてみれば当然の成り行きかも知れない。

若者を中心にヒンドゥー教で禁忌とされている飲酒の習慣も徐々に広まりつつあるそうで、神秘の国インドも徐々に変わりつつある。実際ゴアのビーチではビール片手に騒ぐインド人がたくさんいた。しかし嫌な感じはしない。

老若男女が皆楽しそうに、夕陽で赤く染まる景色の中思い思いの時間を過ごしている。そのポジティブなエネルギーに包まれた波打ち際は立ち去り難く、いつまでも家族やカップルで賑わうアラビア海を眺め続けた。



そしてゴア最終日。MASAさんのDJをイスラエル人で賑わうUV Barで聴きながら、最後のサンセットをアンジュナビーチで牛と見ていた。夕陽ばかり飽きないのかと聞かれたが、本当に飽きないから不思議だ。

■聖地はインド人たち自身の手によって次のステージに進んでいる

今回のゴア滞在中どうしても牛がいるビーチの写真を撮りたいと思いウロウロしていたのだが、ハイシーズンで人が多いからかどこに行っても牛の姿は砂浜になかった。それが最後の最後に足元のアンジュナビーチで、牛に出会うことができたのだ。神様がくれたご褒美のような気がして嬉しくなってしまい、スマホを固定して牛が入ったビーチの様子を動画でも撮影していた。






それを放ったらかしにして一眼レフで夕陽を撮って戻ってくると、一人のインド人の青年が「お前のスマホだったか!盗まれないか心配だったから見張ってやってたんだ」と優しい言葉。お礼を言って去り際、彼に「ヒッピーは好きか?」と聞くと「俺は人のジャンル分けが嫌いだ。セパレートが一番良くないだろ?」と言われ、言葉がなかった。

またしてもインド人にやられた感。

そう、固定観念が一番よくない。終わらないパーティーが無いように、終わらない楽園もまた、無い。ゴアはもう確かにかつてのようなヒッピーの楽園ではないが、悠久の歴史はそれをも飲み込み、聖地はインド人たち自身の手によって次のステージに進んでいる。








■現在全土をロックダウンしているインド

しかし2020年5月現在、世界を大混乱に陥れているコロナウイルスの影響はインドでも深刻だ。大都市を中心に1日の感染者がついに3000人を超えるなど、ロックダウンを延長しても拡大は未だ抑えられていない状況。

人口密度が高く衛生面もお世辞にもいいとは言えないインドで、今回のような感染症を押さえ込むことは相当な時間を要すると思う。



日本人向けのビザ発給も停止されたままだし、ゴアでも全てのパーティーは中止されたままだ。世界に課せられた試練のようなこの騒動、一刻も早く終息する事を願っている。

今回奇跡のようなタイミングで、僕がゴアに滞在したのはたった1週間だ。その限られた時間の中で出来る限り移動し、なるべく人と会って話を聞き、なんでも自分で体験することに集中した。

GOAとは場所のことではなく心の状態だと誰かが言った。
実際にその土地へ行って僕もやっぱりそう思う。

古くはザビエル、そしてヒッピーやトラベラーたち。あらゆる人が繋げて来たゴアの空気。そのシーンの上でたまたま今遊ばせてもらっただけだ。




友人たちとのイベントも素晴らしく、ローカルなお寺の村祭りにも参加できたりと、人生初インドは本当に呼ばれて光栄だったとしか言えない貴重な経験となった。美しい場所には美しい人がいるだけだと柳田國男は言ったが、日本のローカルを旅する度に脳内にリフレインしていたその言葉は、奇しくもインドでもそのまま通用するものだった。

出会う人は皆美しく、喋る時には真っ直ぐに僕の目を見て、オブラートに包まずハッキリと物事を伝えてきた。その眼光の鋭さは、そのまアンジュナビーチで見た夕陽の光と繋がっている。

それを確かに僕もこの目で見て、カメラで捉えた。これから一生、どこでサンセットを見てもあの真っ赤な夕陽を思い出すのだろう。
アフターパーティーは始まったばかりだ。
















宮脇 慎太郎
1981年香川県生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、日本出版、六本木スタジオなどを経て独立。大学在学時より国内外への旅を繰り返した後、2009年奄美皆既日食音楽祭を節目に高松に活動の拠点を移す。辺境bの聖性をテーマに風景やポートレートの撮影に取り組んでいる。

2012年から仲間とBookcafe solowを運営。2015年、日本三大秘境祖谷渓谷を撮り続けた写真集『曙光 The Light of Iya Valley』をサウダージブックスより出版。写真を大幅に追加してのバイリンガル版『霧の子供たち』を2019年に出版した。

次作に初のノンフィクション『ローカル・トライブ』、宇和海沿岸を撮り続けた『rias land』などを予定している。瀬戸内国際芸術祭2016、2019公式カメラマン。

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