究極の非効率! 世界の一家族だけに伝承されているニロナ村のローガンアートを見てきました
■辺境まで雑貨を探しに
インドは広く、インドにはいろいろな人々が住んでいますが、今回は砂漠の中でアートを作り続けるハニーフさん一家を紹介します。場所はグジャラート州のブージから、40キロほど北に来たニロナ村。パキスタンとの国境にほど近い、辺境の村です。ティラキタ買い付け班、こんな辺境の地まで、なにかいい商品はないかと旅してきました。
■インド兵に囲まれる
ブージからニロナ村へとタクシーで行く途中のことでした。なかなか素敵な景色だったので、小山に登って撮影を始めました。
この写真ほどは素敵じゃないけど、それなりに素敵な景色だったのです。
今、スマホの機能で360度写真ってありますよね。
指定された角度にして順番に写真を撮っていくと、360度のパノラマ写真ができるというやつです。
こういうヤツです。こういう写真を小山の上で作ろうとしていました。
でも…ティラキタ買い付け班が写真を撮っていた場所ってば、後から思えば、インドにとって仮想敵国であるパキスタンとの国境近くでした。そして近くにインド軍と思われる施設もありました。大げさに言えば、尖閣諸島でパノラマ写真を撮るという感じでしょうか?
写真を撮り始めて数分後…隣の山のインド軍施設から10人位の兵士が自分に向かって走ってくるのが見えました。
「やべえ。捕まる! 撃たれる!!」と思ってきびすを返し、ゆっくりと歩き始めます。
ココで走ったら絶対に撃たれる。
なぜか判らないけど、直感がそう告げていました。
本来だったら、その場に立っていたほうが良かったのでしょう。
警察でも、軍隊でも、逃げるヤツは怪しいヤツという事で、更に追いかけることになっているからです。
でも、やっぱり、逃げたくなるものです。
ゆっくりと小山を降りていると…「ストーップ!!!!」大声で呼び戻されました。
後ろを振り向くとそこにはライフルを持ったインド人兵士が10人ほどいて、僕の方を全員で睨んでいます。
写真が残ってないので、Webから拾ってきた画像で説明しますが、こういう兵士たちです。
「あ?あ?。マズいことになったな…」と思いつつ、ココで逃げたらどう考えても撃たれるか、殴られて勾留されるのは目に見えてるので、おとなしく言うことに従いました。
10人の兵士たちのうちの数人が英語ができたので、英語で話をします。
「お前はどこから来た?」
「日本だよ」
「日本か? 英語を話すヤツは日本人じゃないと思うが…まぁ、パスポートを出せ」
渋々、ポケットからパスポートを出します。
本物のパスポートかどうか確かめるように、丹念にパスポートを調べます。一人の兵士が調べ終わると、もう一人の手にパスポートが渡り、また新たに調べます。
心臓はバクバクするし、脇の下をイヤな汗がじんわりと流れ落ちてくのを感じます。
オレどうなるのかな…
何人かの兵士がパスポートをチェックした後、一人がにこやかに喋りだしました。
「確かに日本人のようだな」
「はい。日本人です。東京から来ました」
「お前はさっきからココで写真を撮っていたが、何をしていたんだ?」
「観光できたので…こんな360度写真を撮っていたんです」と、持っていたスマホを見せます。
「なぜ、こんな所をお前は撮影するんだ?」
「日本にはこういう風景がないからです。東京はビルばかりで、逆にこういう風景が珍しいのです。」
「なるほど…そうか。」
徐々に場の緊張が溶けていき…
「こいつは日本人だ。中国人じゃない。」
「インドと中国は敵国だが、日本は友人だからな」
「こないだも首相同士が来て、新幹線を作るという話をしていたぞ」
「日本人は友達だから大丈夫だ」
「という事で…お前を開放するが。ここは準戦争地域の国境地帯だ。写真などは撮らないように!!! 今、撮ったのも削除するように!!」
「は??い」
という事で、自分が日本人であるということで、そのまま開放。自分が中国人だったらきっとそのまま勾留だったんでしょうね。国と国が仲がいいというのは本当にありがたいことです。
しかし、素敵な雑貨を探しに行くのも楽ではありません。
時には兵隊に囲まれ、時には体調を崩し、時には騙されそうになります。でも、やっぱり僕ら、世界のいろいろな所に雑貨を探しに行くというこの仕事が大好きです。天職なんでしょうね。
■ローガンアートの村にたどり着く
兵士との一悶着を終え、車に乗って目的地のニロナ村へと向かいました。ニロナ村はブージから塩の砂漠に向かう途中にある村で、砂漠の中にある小さな村。人口は7500人ほど。
電柱の看板を頼りに、小さな村の中をテクテクと歩いて、ローガンアートを作成している一家にたどり着きました。
今回、ローガンアートを説明してくれたのは、ムハンマド・ハニーフ(Muhammad hanif)さん、26歳。7年間このアートを作成しているそうです。カトリ(khatri)カーストに属する家族で、9人がこのアートの作成に関わっています。
昔からこのアートは男性のみが作ってきましたが、2010年からハニーフさんの娘さんがローガンアートの作成に参加しているとのこと。このアートは本人たちも良くは知らないが8世代前から続き、大体3世紀くらい前からこの村で、しかも、この家族でのみ作られてきた特別なものだそうです。
ベットの上には作り途中のローガンアートが干してありました
これが使用しているローガンです。ローガンとはペルシャ語でオイルベースを意味する言葉。
さて、実際に絵を書くところを見せてもらいます。ブラシを使って書くのかと思ったら…彼らが使っているのは一本の鉄の棒のみでした。
まずローガンを適量、右手の親指の付け根に取ります。そして、1分位、手のひらの上でこねます。この時に重要なのは体温でローガンを暖かくし、描きやすくすること。ある程度ローガンが温まり柔らかくなったら、書き始められます。
ここでの描き方はブラシで直接絵を描くのではなく、ローガンの粘性を使って、布にローガンを置いていくのです。こんなの筆で書けばいいじゃん!!! 誰しもそう思います。でも、この面倒くささこそが伝統なのでしょう。
小さな点を描くのはどうするかと言うと…鉄の棒にローガンをつけ、布の上でくるっと回して点を描くのです。
その後、布に定着させるのには布を2つに折りたたみ、同じ形のコピーを作るようにして、定着させます。すなわち一回書くと対象的な絵が出来上がるということです。
これは、60センチ×40センチくらいのローガンアートですか、これを作るのに30日かかるのだそう。
因みにお値段はインドにしては超絶高くて、一枚6000ルピー!!! とは言うものの、この、ローガンアートはインドを代表するアートとして、モディ首相からオバマ首相に手渡されたりしているとのこと。
作っている家族のみんなが集まって写真を撮らせてくれました。
2秒で印刷できる現代の印刷と、一枚作るのに1ヶ月かかる彼らのローガンアート。見た目は正直、あまり変わりません。現代の印刷技術ではあっという間に印刷できてしまうのでしょう。
でも、人の手が入り、使われた時間の数だけ素敵な物になっているような気がします。
彼らは誇りを持って、神がくれた仕事と言っていました。