神々の住まう美と最果ての地 – 世界で一番危険で、一番美しく、一番聖なる場所への旅(後編)
目次
■前編と中編はこちらから
スピティ・キナウル谷へ ― 世界で一番危険で、一番美しく、一番聖なる場所への旅(前編)天空の湖と崖の寺院 ― 世界で一番危険で、一番美しく、一番聖なる場所への旅(中編)
■宇宙のような空の碧さ
スピティ・キナール地方の最大の街、カザに到着してからと言うもの、デールの体調は更に悪くなっていった。「ねえ、デール。やっぱり高山病なんじゃないの?」
「違うよ。寒気がするし、鼻水も出るし、頭も痛くて。関節も痛い。熱も出てる」
「そうか…高山病だったら頭が痛いだけだからなぁ」
「これは風邪なんだよ。やっぱ、マナリで遊びすぎたか…」
「一応、高山病の薬飲んでおきなよ」
「昨日のんだけど、全く効かなかったから高山病じゃないってば!! アイタタタタ…俺、起きてられないから寝るね……」
デールの最悪な体調とは裏腹に、世界はますます美しさを増していた。朝起きたら空は宇宙を覗きこむかのような紺碧さだった。宇宙はただ碧く、山々は神々が住むかのようにただ美しく、その景色の中にチベットの祈祷旗タルチョーがはためいていた。
朝食にモモを作ってもらい、さあ出発!
荷物をしっかりと車の荷台の上に縛り付ける。荷物をしっかりと縛り付けないと道の途中で落ちてしまうから、しっかりと縛るのだが、なかなかこれが難しい。
エンジンの中には埃が入り込んで真っ白になっている。これでもちゃんと動いて、故障せずに走るのだからインド製の車もなかなかのものです。
出発したら世界は完全に火星だった。標高は富士山の山頂を遥かに超える4000m。草木の一本もなく、ただ荒れ果てた土地が目の前に広がるばかり。
この写真、右下に小さな集落があるのが判るでしょうか…。限りなく大きな景色の中にぽつんと家を建て、放牧をして暮らしている人々がいるのです。
限りなくピュアで、自然で、大地に根ざして生活している人々がいます。テクノロジーにまみれた僕らの生活とは全く違う、プリミティブな生活をしているのでしょう。
■最果ての寺院へ到着
カザから走ること30分。程なくして最終目的地の、最果ての寺院キー・ゴンパへ到着。崖だらけの道を走り続けること3日。一つハンドルを間違えたら、崖の下に転落して即死する、世界でも最悪クラスのひどい道を延々と走り抜けて到着した最果ての寺院は、火星のような景色の中、神々しく、気高く、崖の上に凛として建っていました。
寺院の下には日本と同じように門前町ならぬ門前集落が形成されています。極限の地の門前集落の数は少なく、ほんの数十軒くらいでしょうか。岩だけで構成された荒涼とした山並みに、雲がぽっかりとその影を落とす不思議な景色の中、肩を寄せ合うようにして建っています。
看板にはキー・モネストリー、標高4116m、スピティ地域で最大の修道院だと書いてあります。このキー・ゴンパは西暦1000年代に建立されたものだと言われていて、その後、何回もの襲撃や再建を経て、今の姿になったそうです。
キー・ゴンパの入り口から見た景色が素晴らしすぎ…世界にはこんな美しいところがあったのだなぁ…
キー・ゴンパのお堂に入る赤い扉が、美術的にも視覚的にも非常に美しく…
取っ手の細部に至るまで細かい象嵌が施されています
扉の横の柱も綺麗に彫刻が施され、美しくペイントされています。
扉を開けるとそこには僧たちが座り、日々の祈りを捧げる場所が広がっていました。一番奥には生き神様であるダライ・ラマ法王の想像が飾られています。
歴代の高名な僧たちでしょうか。
極彩色の空間は、一歩外に出たら火星のような荒涼とした風景が広がっていることを全く感じさせません。寺院の中は神聖な空気が支配していて、ここが特別な聖なる空間であると言う事を感じさせます。ここが世界で最高峰の、最高に聖なる空間なのかもしれないと感じます。
日々の食事を作るのに使われる調理器具類は全て高級な銅やブラス製
手で塗って作ったと思われる泥壁に、刺すような太陽光が注ぎこみます
礼拝に使う羊の乳から作ったギーランプがありました
僕達も祈りを捧げるためにギーランプ代を支払い
全員で真摯に祈りを捧げました。
キー・ゴンパの中庭では僧侶たちが縫い物をしていたので話しかけてみると…なんとも驚くべきことに、彼らはずっとここだけに居るわけではないというのです。
「こないだは国際会議のためにシンガポールに呼ばれたよ」
「その前はタイに行ってきた」
「え! 君たちめちゃくちゃ国際的…」
「今はどこに住んでても、ネットで世界と繋がれるんだよ。」
ここの寺院の僧侶たちは、生まれてから死ぬまでこの地に居るものだと思っていた僕らの思い込みが、話せば話すほどガラガラと音を立てて崩れていきました。
こんな辺境の地に住みつつ、国際的な活動をしているとは!!
彼らは外国の財団などから呼ばれ、世界聖職者会議みたいな国際会議に出席しているのだそうです。
寺院の屋上へ上がってみるとそこには大きなソーラーパネルが設置され、電気が使えるようになっていました。
「そうか、ここもまた現代なのだ」
火星のような風景の、標高4000mの極限高地にある聖なる寺院は、現代から取り残されているものだとばかり思ってた…きっと、心の底でそうあって欲しいと期待していたのでしょう…。
でも、現実はソーラーパネルが設置され、携帯でネットに繋がり、国際会議に出席する僧侶たちがいる、現代の一部分でした。
とは言うものの、彼らを取り巻く環境はあまりにも過酷です。食べ物は麦こがしのツァンパと塩バター茶だけ。それだけの食事で延々と一生をかけて仏教を実践する姿は、求道者という言葉を超えるスピリチュアルな高みがある気がします。
寺院の外に出てみたら僧侶たちが謎かけ問答をしていました。立っている僧侶が座っている僧侶に謎かけをし、即座にそれに答える様な感じです。この謎かけによって、仏教への理解を深めているのでしょう。この謎かけ問答はきっと何世紀も同じように実践されてきたのでしょう。
■そして帰路へ…感覚が麻痺してもう怖くないもん!!
行きに3日かかった道は、帰りもまた3日かかります。崖だらけの地球と思えない道は、延々と続きます。インド製のバイク、ロイヤルエンフィールドで行く人。ボクもいつかまたこの道をロイヤルエンフィールドで走りたいなぁ
道は果てしなく延々と続き…
本当に延々と、延々と、延々と続き…
落ちたら助からない道を超え…
1台分の道幅しかない道で、トラックをやり過ごし
ガードレールは落石と衝突でひん曲がり
「ヒー!! もう無理!!」って感じの場所で、傾いているトラックに出会っても怖くなくなってしまいました。一週間も同じ状況が続くとなんでも普通になってしまいます。
そして僕らは、また現実世界に帰ってきたのでした。
■高山病ハイだった僕ら
不思議な事ですが、旅の途中から段々と僕らは不思議なテンションに包まれてきました。デールの体調が悪くなるにつれて僕らのテンションは上がっていき…用事もないのに車を止めてはハイな感じの写真を撮り目的地についたと言っては喜びの写真を撮り。
シャネルのベッドカバーがあったと言っては大騒ぎして写真を撮り。
トラクターがあったと言っては持ち主に許可をもらって登って、インド映画のポーズを取り。
その最中はとっても楽しかったのだけど、帰路につき高度を下げていくと同時に僕らのテンションも徐々に元に戻って、デールの体調も元に戻ってきて。
「あれ? デール、いつの間にか元気になってる??」
「うん…なんか体調良くなったよ」
「ねえ、デール。やっぱり高山病だったんじゃない?」
「えーー、そうかなぁ…でも高度が下がったら楽になったしなぁ。そうなのかなぁ…」
そして僕らも気がついたら、ハイな感じの写真を撮る事が少なくなりました。
「昨日辺りからテンションが普通に戻ったんじゃない?」
「確かに…高度4000mあたりに居た頃は、みんなおかしかったよね?」
「あのムダに楽しかったのは高度の影響?」
「かなぁ…まぁ、楽しかったから良いんだけど…」
「でもやっぱり、おかしかったよねぇ…」
高度の影響とは、恐ろしいものです。自分たちが全く気が付かないうちにハイになっていたり、風邪だと思ってたら実は高山病だったり。「標高4000mから降りてみて初めて、自分たちがおかしかったと言う事に気がつく」のです。
空気が薄くてすぐに息が切れるという事に気がついても、それが自分たちの精神や体に影響を及ぼしているとは、なかなか気が付かないもの。
高山病の予備知識があり、メンバーの多くが過去に高山病の経験があったとしても、こんなに4000mの高地に来ることもなく、また一週間近くもの長い間、高地に滞在することもなかったので気が付かなかったのでしょうね。
デールがひどい高山病にかかったものの肺浮腫に進行することもなく、車が崖から落ちることもなく、全員が無事に帰ってこれたのは「ただ良かった」としか言いようがありません。無事に終わって、ああ、良かった…全員無事でよかったね…
■これからスピティ・キナールに行く人へのアドバイス
読んでいただいたように、スピティ・キナールは世界の果てか、それとも火星かとも思える素晴らしい景色が味わえる反面、アクセスの悪さや高山病の危険など、様々な障害があります。旅行の中で私達が特に注意したほうがいいと思えるポイントを記しておきますね。
・十分な日程が必要です
出発地の町、マナリかシムラーから、最低、往復で一週間はかかります。ですので日本から往復する場合は20日以上の日程が必要になります。
・高山病には要注意。
マナリかシムラーで数日滞在し、また標高3000m地点でまた数日滞在して徐々に高度を上げていくようにしましょう。私たちは標高2000mのマナリで10日以上滞在した後に出発しましたが、それでもやはり高山病に悩まされました。
・夏でないと行けません
標高の高い場所ですので、夏でないと行くことが出来ません。出来たら、マナリの先にあるロタン峠が開いている6月から10月までの間が望ましいです。
・事故で死ぬ危険性が少々あります
一週間の旅行期間の間に一体、何台の壊れた車を見たでしょうか…。道路は崖が続き、転落したらそこでオサラバです。ここに行くには、登山と同じくらいの覚悟はておいたほうが良いと思います。
Have a good journey!!!
おかえりなさい!
ギーランプの匂い、どういうのでしょうか?
早朝の空気、寺院の中の匂い、埃が舞う道路の匂いとか、いろいろ想像してみます。
旅っていいですね!