一生に一度はしたいけど、もう二度としたくない旅 – 後編
世界で一番危険な道の一つに数えられるマナリ・レーハイウェイ。前回の記事、一生に一度はしたいけど、もう二度としたくない旅 マナリからレーに行ってきました!! では順調に進んだかに見える旅路でしたが…
僕らを乗せたミニバスは順調に進み、1泊2日のマナリからレーまでのバス旅行もあと4時間の所までやって来ました。
景色はいいし、楽しかった!!
本当に素晴らしいのでみんなにオススメしたい! と心から感じていました。
今までに色々な所を旅行して歩いてきましたが、レーからマナリへの旅行はパタゴニアのパイネ国立公園、ベネズエラのカナイマ国立公園に匹敵する素晴らしさ。今までの旅行の中でもTOP3に入る素晴らしい旅でした。白い雪をいだいた山々は神々しいほど。まさに神々の住まうヒマラヤです。
と、思っていた所…渋滞が始まりました。空はどこまでも蒼く、景色は雄大です。
森林限界はとっくに超えているらしく、山には草しか生えていません。こんな所でも渋滞するんだね…と思って外に出て聞いてみると、トラックのドライバーが「山崩れがあった」と教えてくれました。
早速山崩れの場所を見に行ってきます。標高が非常に高いらしく、ちょっと歩くだけで息切れします。並んでいるトラックを横目にテクテク歩きます。
インドのトラックってかっこいいよなぁ…とか、この光景、絵になるよなぁ…なんて思いながら山崩れの場所まで歩いて行きました。
途中、頭を抱えているライダーに会いますが、なぜ彼が頭を抱えているのでしょうか。この時はまだ分からなかったのですが、その理由を僕らは後で自分たちの体で知ることになります。
テクテク歩いて、山崩れの場所に到着です。
タンクローリーが今にも崖に落ちそうになっています。
タンクローリーが山崩れにハマったのはだいぶ前の事らしく、タンクローリーの横に何とか車が通れる道が出来ていました。みんなで協力して、なんとか車を通します!! インド人たち頑張るなぁ!!
渋滞にハマって1時間後、無事に僕らの車も山崩れの場所を通過しました。出発直前にドライバーから「この後、3箇所で問題が発生しているらしい」とアナウンスがありましたが、あまり気にせず聞き流すことにします。どうせ僕らは車に乗っているだけで何も出来ないのですし。気にしても仕方ありません。トラブルがあったら眺めて楽しむだけです。
「ここで止まりたいんだけど」と言うと、
「じゃあ、5分だけだぞ」
「え! ケチだなぁ。せっかくここまで来たのだから、もっと居させてくれてもいいじゃん!!」と心から思いましたが、ドライバーは何やら急いでいる様子です。なぜなのでしょう…
タグラングラ峠(TAGLANGLA)は標高5328m。世界で2番めに高い自動車で来れる峠です。景色は荒涼として平べったい山の上に薄く雪が載っています。風が強いところらしく、雪が降ってもなかなか積もらないのでしょう。真夏の8月でも雪が積もっているとは、相当過酷な土地なのでしょう。
重要な聖地らしく、数多くのタルチョーが張られています。流石、標高5328mの場所です。ちょっと歩くと息切れします。そして息切れしかたらなのか…頭痛が始まりました。
車は標高5328mの峠を一気に駆け下ります。荒涼とした30分くらい進んだら、また渋滞が始まりました。
「今度はどうしたの?」と聞くと
「橋が流されたらしい」との事。
好奇心旺盛な僕達、早速、橋が流された現場に行ってみます。
橋が流された現場では、今まさに橋の修復中でした。
多くの地元の人達が総出で橋を作っていました。橋はインド軍用の仮設橋。一つ一つがパーツになっていて、人力でも9トンまで耐えられる橋がすぐに作れるというスグレモノです。橋脚を全員で持って、移動し、どんどん橋を作っていきます。男性も女性も関係なく、みんなで直しています。
橋の部品同士は大きな万力で締めます。
横から見るとこんなに歪んでいますが、きっと、これでも問題なく使えるのでしょう。
待っている人たちもなんだか慣れたもの。「どうしよっかね」、「待ってるしかないね」と口々に言っています。
TATA HITACHI製のユンボが登場。なんとこのユンボ、ショベルの先で橋の端をひっかけ、橋の位置をズルズルと移動し始めました!!ユンボ恐るべし! ユンボって、なんでも出来るんだなぁ。
橋の工事はまだまだ続いていますが、頭痛がひどくなってきたので帰ることにしました。さっき標高5328mだったと言うことは、この地点はまだ標高4500m以上のはずです。空気が薄く、ちょっと歩くと息切れがします。さっきからの頭痛がどんどん激しくなってきます。頭が割れるように痛くなってきました。気持ちが悪く、悪寒もします。高山病にかかってしまいました。
珍しいからと言って山崩れの現場を見にいったり、架橋している現場に行ったりと、ウロウロ動き回っていたのがいけないのでしょう。
手作りで橋を作る光景と言うのはなかなか見られないのでずっと見ていたかったのですが、バスに戻ることにしました。バスの中に戻ってみると、同行者の多くが体の不調を訴えています。
「気持ち悪い…」
「誰か風邪薬持ってない?」
「頭が割れるように痛い…」
みんなぐったりして非常に体調が悪そうです。もちろん僕も頭が痛く、寒気がします。標高5000mでの渋滞、標高4000mでの架橋で何時間も高地にいた僕たちはすっかり高山病にかかってしまいました。
さっきの山なだれの所で頭を抱えていたライダーはきっと高山病だったのでしょう。標高5328mのタグラングラ峠(TAGLANGLA)で5分しか滞在させてくれなかったのはきっと、標高があまりに高く、危ないからなのでしょう。自分が高山病にかかって初めて、目の前で起きている色々なことの理由を知ることになるのでした。
バスの中でぐったりして、だんだんと体力がなくなっていきます。
頭は割れるように痛く、40度の熱が出るかのように寒気がします。
どんどん体調は悪くなっていくのに、橋は直らないまま。
「橋、直った?」と聞いても
「判らない…」とみんな言うばかりです。
ああ、僕はこれで死ぬんだな。
高山病で肺気腫になって死ぬんだな…
よく考えてみればこのインド旅行は全く呼ばれていませんでした。最初の予定といきなり変わり、航空券をキャンセルして日程を変更しなければいけなくなりましたし、インドVISAにも色々と問題があり、VISAが発給されたのはフライトの18時間前。
呼ばれていないのに無理にやって来たから、いけないんだ。
ここで死ぬ目に遭うって運命が知っていたから、呼ばれなかったんだ。
インドは呼ばれなきゃ来ちゃいけないんだった。
去年はインドからの帰国後すぐに髄膜炎にかかり心臓手術までして死ぬ目にあったし、一昨年は相模川で滝に流されて死にそうな目にあったし、2年前はブートジョロキアで死にそうな目にあったし、3年前はカブトガニで死にそうだったっけ。今年の死にそうになる日は今日なんだな…と頭痛で苦しむ中、考えます。寒気と頭痛が襲ってくる中で「やっぱ止めときゃよかったなぁ…」と後悔しか出てきません。
「俺、ここで死ぬかも…ゴメン…」
あまりにも頭が痛くて意識が朦朧とする中…橋が直り、バスが動けるようになりました。
「これでちょっとは下に行けるんだよね?」
「助かった…」
「神様、ありがとう…」
ゾンビの群れのようだったバスの車内は、みんな口々に感謝の言葉を述べ、ホッとした様子になりました。長く感じられた時間でしたが、時計を見てみるとまだ20時。到着してから5-6時間くらいしか経過していませんでした。僕らにとっては5-6時間は非常に長く感じられましたが、よく考えてみると、標高4500mのヒマラヤの山の中で、車が通れる橋をほぼ人力で作ってしまう…まさに奇跡とも言うべき働きです。
インド凄え!! 素晴らしい!! 地元の人に感謝しかありません。
「あとレーまで3時間だが…この先にもトラブルがあるらしい。行ける所まで行くよ」とドライバーが言います。
高山病で割れるような頭痛ですので、ちょっとでも高度が下がってくれることを願います。車は徐々に高度を下げていった…と思ったら、1時間位してまた車が止まってしまいました。
「これ以上先に進むことは出来ない」
「えー!!」
「今日はここで一晩過ごすことにする」
高度が下がったので頭の痛みは多少良くなってきましたが、標高はきっとまだ4000m位でしょう。高山病にかかっているのに標高4000mで一晩をすごさなければならない…こんなにキツく、厳しい旅行になるとは予想もしていませんでした。
運転手が交渉してくれ、地元の家の中で寝れる事になりました。ラダックの石造りの家の中で旅行者たちが身を寄せ合って寝ることに。夕飯は近くのお店に売っていたインスタントラーメン一個だけです。この集落にはお店は一軒しかなく、僕達が買ったラーメンが最後の1食でした。
高山病は寝て呼吸が浅くなると悪化する病気だと言う事をこの時、初めて身体で理解しました。絶え間ない頭痛の中、浅い眠りにつきます。目が覚めると頭痛が強くなっているので、意識的に呼吸を大きくします。見ず知らずのラダックの民家の中で、頭痛を抑えるために真っ暗な中で深呼吸を繰り返します。朝は遠く、ずっとやって来ないかの様な気すらしてきました。
朝になり、外に出てみると…そこは民家の数以上の仏塔が建っている村でした。白い仏塔が家々の間に林立している姿はまるであの世を思わせます。
仏塔の中に入り、上を見上げるといつ描かれたのかわからない古い宗教画が描かれていました。
家畜が逃げないようにするための石の塀の上にはヤギの頭蓋骨が無造作に置かれていました
おじさんはヤギの中に混じって乳搾り。電気もなく、ヤギと共に生きる。ここは現代社会から隔絶された辺境の土地。
そもそも、道はどのようになっているのだろう…と思って、見に行くと、道は大きくえぐれ、300m以上にわたって流されていました。
「これはダメだな」
「ムリだ」
誰ともなく言います。どうしよう…とドライバーに聞くと、
「ガソリンはもうないよ。帰れるだけのガソリンはない」
「お前たちは歩いてレーまで行くんだ」
「え? 歩いて?」
「そうだ。壊れた道の横の山を登り、向かい側に渡るんだ。その先でもまだ道が壊れているからそこまで6Km歩くんだ」
まだ高山病は続いています。頭が痛く、気持ちも悪いのに君は俺に山登りをして6Km歩けと。そう言うのか!!!
「ここで待っているというのは…」
「道が直るまで最低一週間はかかる。食べ物もない、水もない」
「そうか…」
「俺は車があるからここにいるけど、お前たちは歩いてレーを目指すんだ」
可能性を探るためにまずは自分が登るはずの山を見に行きます…
「ガケじゃん!!」
行けと言われた道はただの獣道で、足元は簡単に崩れる非常に脆い地質です。何人か歩いて行きましたが、歩くたびに「カラカラ」と石が落ちてきます。
標高4000mの土地で、高山病に苦しんでいるというのに、水もなしで君はここを登れというのか。
ああ、今度こそ死ぬ気がしてきました。
登っている途中で、疲れて気が遠くなって崖の下に真っ逆さまです。
非常にクリアーに、自分が転落して死ぬ光景が見えます。
今日が人生最後の日だな。諦めろ。
そう思うしかありません。
最初反対していたチェンナイから来たインド人は先に出発しました。「足場が悪かったら帰って来るよ」と言って出て、1時間位するのに帰って来ないという事は、思ったよりも足場がいいのかもしれません。
標高4000mなのに、高山病にかかっているのに、頭痛がするのに、意を決して山を登ることにしました。一緒に来た気のいいイルラエル人と歩き始めます。
100m位登った所です。眼下には茶色い濁流が見えます。景色は赤く、雄大ですが、見ている余裕などどこにもありません。
下を見ると、足元に粒のように現地の人が見えます。足を踏み外したら間違いなく即死です。標高4000mですので、空気が薄く、ちょっと登るとあっという間に息切れがしてきます。すぐに疲れがやってきて、登るのがキツくなります。標高4000mでこれか…エベレスト登る人ってどんなだけ凄いんだろう…
景色は今まで見たことがないような不思議なものでした。木が生えていない赤い岩山です。自然科学が好きな人であれば大喜びしそうな光景ですが、もちろんそれどころではありません。
赤い山脈の中を茶色の河が流れていきます。
切り立ったガケを一歩一歩、歩いていきます。踏み外したら即死です。
真剣です。こんな時なのに、生きている実感が湧いてきます。
無事に渡りきり、次の道路が壊れている所まで歩いていきます。
赤い大地に赤い家。なんともフォトジェニック。
レーまで59Km。嫌だよ!!! そんなに歩きたくないよ!!!
次の現場が見えてきました!! ここを超えれば車があるはずです!!
働いている人たちが光って見えます。
僕達のために道路を直してくれているんだね…でも、早く直せよ!!!
次の道路が流されている現場を超えるとインド製のトラック、ASHOK LEYLANDが待っていました。
道路工事のために土砂を運んでいる車ですが、これで近くの街まで運んでくれるというのです。
「ああ、助かった…」
喜んで軍用トラックに乗り、一番近くの街SHAURA CHAKRAへ到着。
小さな町ですが、文明社会に帰ってきた実感がわきます。
SHAURA CHAKRAからレーまではタクシーをチャーターし、2時間であっという間に到着。
レー王宮の姿を見た時には思わず涙がこぼれ、生きててよかったなぁ…と心からホッとしたのでした。
こんなエクストリームな旅行、望んでないよ!!!
もう嫌だよ!!!
一生に一度は来たかったけど、もう二度と行きたくないよ!!!
「え? このルートを人におすすめするかって?」
流石に…ちょっと…おすすめした挙句、死なれても困りますしね。
道路が問題なかったら良いのかもしれませんが…
目次
■森林限界を超えた交通渋滞
「レーまで4時間位だよ」とドライバーがみんなに呼びかけます。僕らを乗せたミニバスは順調に進み、1泊2日のマナリからレーまでのバス旅行もあと4時間の所までやって来ました。
景色はいいし、楽しかった!!
本当に素晴らしいのでみんなにオススメしたい! と心から感じていました。
今までに色々な所を旅行して歩いてきましたが、レーからマナリへの旅行はパタゴニアのパイネ国立公園、ベネズエラのカナイマ国立公園に匹敵する素晴らしさ。今までの旅行の中でもTOP3に入る素晴らしい旅でした。白い雪をいだいた山々は神々しいほど。まさに神々の住まうヒマラヤです。
と、思っていた所…渋滞が始まりました。空はどこまでも蒼く、景色は雄大です。
森林限界はとっくに超えているらしく、山には草しか生えていません。こんな所でも渋滞するんだね…と思って外に出て聞いてみると、トラックのドライバーが「山崩れがあった」と教えてくれました。
早速山崩れの場所を見に行ってきます。標高が非常に高いらしく、ちょっと歩くだけで息切れします。並んでいるトラックを横目にテクテク歩きます。
インドのトラックってかっこいいよなぁ…とか、この光景、絵になるよなぁ…なんて思いながら山崩れの場所まで歩いて行きました。
途中、頭を抱えているライダーに会いますが、なぜ彼が頭を抱えているのでしょうか。この時はまだ分からなかったのですが、その理由を僕らは後で自分たちの体で知ることになります。
テクテク歩いて、山崩れの場所に到着です。
タンクローリーが今にも崖に落ちそうになっています。
タンクローリーが山崩れにハマったのはだいぶ前の事らしく、タンクローリーの横に何とか車が通れる道が出来ていました。みんなで協力して、なんとか車を通します!! インド人たち頑張るなぁ!!
渋滞にハマって1時間後、無事に僕らの車も山崩れの場所を通過しました。出発直前にドライバーから「この後、3箇所で問題が発生しているらしい」とアナウンスがありましたが、あまり気にせず聞き流すことにします。どうせ僕らは車に乗っているだけで何も出来ないのですし。気にしても仕方ありません。トラブルがあったら眺めて楽しむだけです。
■標高5328mの峠
山崩れでの渋滞を過ぎてほんの5分後。チベットの5色旗タルチョーがはためくタグラングラ峠(TAGLANGLA)に到着。ドライバーは急いで通りすぎようとしていたのですが、タルチョーがいっぱい捧げられている場所を見て、もちろん停車を要求します。「ここで止まりたいんだけど」と言うと、
「じゃあ、5分だけだぞ」
「え! ケチだなぁ。せっかくここまで来たのだから、もっと居させてくれてもいいじゃん!!」と心から思いましたが、ドライバーは何やら急いでいる様子です。なぜなのでしょう…
タグラングラ峠(TAGLANGLA)は標高5328m。世界で2番めに高い自動車で来れる峠です。景色は荒涼として平べったい山の上に薄く雪が載っています。風が強いところらしく、雪が降ってもなかなか積もらないのでしょう。真夏の8月でも雪が積もっているとは、相当過酷な土地なのでしょう。
重要な聖地らしく、数多くのタルチョーが張られています。流石、標高5328mの場所です。ちょっと歩くと息切れします。そして息切れしかたらなのか…頭痛が始まりました。
■洪水で橋が流される
車は標高5328mの峠を一気に駆け下ります。荒涼とした30分くらい進んだら、また渋滞が始まりました。
「今度はどうしたの?」と聞くと
「橋が流されたらしい」との事。
好奇心旺盛な僕達、早速、橋が流された現場に行ってみます。
橋が流された現場では、今まさに橋の修復中でした。
多くの地元の人達が総出で橋を作っていました。橋はインド軍用の仮設橋。一つ一つがパーツになっていて、人力でも9トンまで耐えられる橋がすぐに作れるというスグレモノです。橋脚を全員で持って、移動し、どんどん橋を作っていきます。男性も女性も関係なく、みんなで直しています。
橋の部品同士は大きな万力で締めます。
横から見るとこんなに歪んでいますが、きっと、これでも問題なく使えるのでしょう。
待っている人たちもなんだか慣れたもの。「どうしよっかね」、「待ってるしかないね」と口々に言っています。
TATA HITACHI製のユンボが登場。なんとこのユンボ、ショベルの先で橋の端をひっかけ、橋の位置をズルズルと移動し始めました!!ユンボ恐るべし! ユンボって、なんでも出来るんだなぁ。
橋の工事はまだまだ続いていますが、頭痛がひどくなってきたので帰ることにしました。さっき標高5328mだったと言うことは、この地点はまだ標高4500m以上のはずです。空気が薄く、ちょっと歩くと息切れがします。さっきからの頭痛がどんどん激しくなってきます。頭が割れるように痛くなってきました。気持ちが悪く、悪寒もします。高山病にかかってしまいました。
珍しいからと言って山崩れの現場を見にいったり、架橋している現場に行ったりと、ウロウロ動き回っていたのがいけないのでしょう。
手作りで橋を作る光景と言うのはなかなか見られないのでずっと見ていたかったのですが、バスに戻ることにしました。バスの中に戻ってみると、同行者の多くが体の不調を訴えています。
「気持ち悪い…」
「誰か風邪薬持ってない?」
「頭が割れるように痛い…」
みんなぐったりして非常に体調が悪そうです。もちろん僕も頭が痛く、寒気がします。標高5000mでの渋滞、標高4000mでの架橋で何時間も高地にいた僕たちはすっかり高山病にかかってしまいました。
さっきの山なだれの所で頭を抱えていたライダーはきっと高山病だったのでしょう。標高5328mのタグラングラ峠(TAGLANGLA)で5分しか滞在させてくれなかったのはきっと、標高があまりに高く、危ないからなのでしょう。自分が高山病にかかって初めて、目の前で起きている色々なことの理由を知ることになるのでした。
バスの中でぐったりして、だんだんと体力がなくなっていきます。
頭は割れるように痛く、40度の熱が出るかのように寒気がします。
どんどん体調は悪くなっていくのに、橋は直らないまま。
「橋、直った?」と聞いても
「判らない…」とみんな言うばかりです。
ああ、僕はこれで死ぬんだな。
高山病で肺気腫になって死ぬんだな…
よく考えてみればこのインド旅行は全く呼ばれていませんでした。最初の予定といきなり変わり、航空券をキャンセルして日程を変更しなければいけなくなりましたし、インドVISAにも色々と問題があり、VISAが発給されたのはフライトの18時間前。
呼ばれていないのに無理にやって来たから、いけないんだ。
ここで死ぬ目に遭うって運命が知っていたから、呼ばれなかったんだ。
インドは呼ばれなきゃ来ちゃいけないんだった。
去年はインドからの帰国後すぐに髄膜炎にかかり心臓手術までして死ぬ目にあったし、一昨年は相模川で滝に流されて死にそうな目にあったし、2年前はブートジョロキアで死にそうな目にあったし、3年前はカブトガニで死にそうだったっけ。今年の死にそうになる日は今日なんだな…と頭痛で苦しむ中、考えます。寒気と頭痛が襲ってくる中で「やっぱ止めときゃよかったなぁ…」と後悔しか出てきません。
「俺、ここで死ぬかも…ゴメン…」
あまりにも頭が痛くて意識が朦朧とする中…橋が直り、バスが動けるようになりました。
「これでちょっとは下に行けるんだよね?」
「助かった…」
「神様、ありがとう…」
ゾンビの群れのようだったバスの車内は、みんな口々に感謝の言葉を述べ、ホッとした様子になりました。長く感じられた時間でしたが、時計を見てみるとまだ20時。到着してから5-6時間くらいしか経過していませんでした。僕らにとっては5-6時間は非常に長く感じられましたが、よく考えてみると、標高4500mのヒマラヤの山の中で、車が通れる橋をほぼ人力で作ってしまう…まさに奇跡とも言うべき働きです。
インド凄え!! 素晴らしい!! 地元の人に感謝しかありません。
■ラダックの民家に避難する
「あとレーまで3時間だが…この先にもトラブルがあるらしい。行ける所まで行くよ」とドライバーが言います。
高山病で割れるような頭痛ですので、ちょっとでも高度が下がってくれることを願います。車は徐々に高度を下げていった…と思ったら、1時間位してまた車が止まってしまいました。
「これ以上先に進むことは出来ない」
「えー!!」
「今日はここで一晩過ごすことにする」
高度が下がったので頭の痛みは多少良くなってきましたが、標高はきっとまだ4000m位でしょう。高山病にかかっているのに標高4000mで一晩をすごさなければならない…こんなにキツく、厳しい旅行になるとは予想もしていませんでした。
運転手が交渉してくれ、地元の家の中で寝れる事になりました。ラダックの石造りの家の中で旅行者たちが身を寄せ合って寝ることに。夕飯は近くのお店に売っていたインスタントラーメン一個だけです。この集落にはお店は一軒しかなく、僕達が買ったラーメンが最後の1食でした。
高山病は寝て呼吸が浅くなると悪化する病気だと言う事をこの時、初めて身体で理解しました。絶え間ない頭痛の中、浅い眠りにつきます。目が覚めると頭痛が強くなっているので、意識的に呼吸を大きくします。見ず知らずのラダックの民家の中で、頭痛を抑えるために真っ暗な中で深呼吸を繰り返します。朝は遠く、ずっとやって来ないかの様な気すらしてきました。
朝になり、外に出てみると…そこは民家の数以上の仏塔が建っている村でした。白い仏塔が家々の間に林立している姿はまるであの世を思わせます。
仏塔の中に入り、上を見上げるといつ描かれたのかわからない古い宗教画が描かれていました。
家畜が逃げないようにするための石の塀の上にはヤギの頭蓋骨が無造作に置かれていました
おじさんはヤギの中に混じって乳搾り。電気もなく、ヤギと共に生きる。ここは現代社会から隔絶された辺境の土地。
■道が300mにわたって流される
そもそも、道はどのようになっているのだろう…と思って、見に行くと、道は大きくえぐれ、300m以上にわたって流されていました。
「これはダメだな」
「ムリだ」
誰ともなく言います。どうしよう…とドライバーに聞くと、
「ガソリンはもうないよ。帰れるだけのガソリンはない」
「お前たちは歩いてレーまで行くんだ」
「え? 歩いて?」
「そうだ。壊れた道の横の山を登り、向かい側に渡るんだ。その先でもまだ道が壊れているからそこまで6Km歩くんだ」
まだ高山病は続いています。頭が痛く、気持ちも悪いのに君は俺に山登りをして6Km歩けと。そう言うのか!!!
「ここで待っているというのは…」
「道が直るまで最低一週間はかかる。食べ物もない、水もない」
「そうか…」
「俺は車があるからここにいるけど、お前たちは歩いてレーを目指すんだ」
可能性を探るためにまずは自分が登るはずの山を見に行きます…
「ガケじゃん!!」
行けと言われた道はただの獣道で、足元は簡単に崩れる非常に脆い地質です。何人か歩いて行きましたが、歩くたびに「カラカラ」と石が落ちてきます。
標高4000mの土地で、高山病に苦しんでいるというのに、水もなしで君はここを登れというのか。
ああ、今度こそ死ぬ気がしてきました。
登っている途中で、疲れて気が遠くなって崖の下に真っ逆さまです。
非常にクリアーに、自分が転落して死ぬ光景が見えます。
今日が人生最後の日だな。諦めろ。
そう思うしかありません。
最初反対していたチェンナイから来たインド人は先に出発しました。「足場が悪かったら帰って来るよ」と言って出て、1時間位するのに帰って来ないという事は、思ったよりも足場がいいのかもしれません。
標高4000mなのに、高山病にかかっているのに、頭痛がするのに、意を決して山を登ることにしました。一緒に来た気のいいイルラエル人と歩き始めます。
100m位登った所です。眼下には茶色い濁流が見えます。景色は赤く、雄大ですが、見ている余裕などどこにもありません。
下を見ると、足元に粒のように現地の人が見えます。足を踏み外したら間違いなく即死です。標高4000mですので、空気が薄く、ちょっと登るとあっという間に息切れがしてきます。すぐに疲れがやってきて、登るのがキツくなります。標高4000mでこれか…エベレスト登る人ってどんなだけ凄いんだろう…
景色は今まで見たことがないような不思議なものでした。木が生えていない赤い岩山です。自然科学が好きな人であれば大喜びしそうな光景ですが、もちろんそれどころではありません。
赤い山脈の中を茶色の河が流れていきます。
切り立ったガケを一歩一歩、歩いていきます。踏み外したら即死です。
真剣です。こんな時なのに、生きている実感が湧いてきます。
■軍用トラックに乗ってレーへ
無事に渡りきり、次の道路が壊れている所まで歩いていきます。
赤い大地に赤い家。なんともフォトジェニック。
レーまで59Km。嫌だよ!!! そんなに歩きたくないよ!!!
次の現場が見えてきました!! ここを超えれば車があるはずです!!
働いている人たちが光って見えます。
僕達のために道路を直してくれているんだね…でも、早く直せよ!!!
次の道路が流されている現場を超えるとインド製のトラック、ASHOK LEYLANDが待っていました。
道路工事のために土砂を運んでいる車ですが、これで近くの街まで運んでくれるというのです。
「ああ、助かった…」
喜んで軍用トラックに乗り、一番近くの街SHAURA CHAKRAへ到着。
小さな町ですが、文明社会に帰ってきた実感がわきます。
SHAURA CHAKRAからレーまではタクシーをチャーターし、2時間であっという間に到着。
レー王宮の姿を見た時には思わず涙がこぼれ、生きててよかったなぁ…と心からホッとしたのでした。
こんなエクストリームな旅行、望んでないよ!!!
もう嫌だよ!!!
一生に一度は来たかったけど、もう二度と行きたくないよ!!!
「え? このルートを人におすすめするかって?」
流石に…ちょっと…おすすめした挙句、死なれても困りますしね。
道路が問題なかったら良いのかもしれませんが…