ミャンマーお寺生活記
ティラキタをはじめたのが2001年の初め。今が2012年ですから、あっという間に11年が経ちました。初めは妻と2人でやっていたのですが、そのうち手伝ってくれる人に来てもらうことになり、今では10人を抱える所帯になっています。
ティラキタは日本で一番インドの香りがするお店をモットーにしていますので、ティラキタに働きに来てくれる人もまた、個性の強い人が多いのが特徴です。サンスクリット語が読める人、バックパッカーだった人、野外フェスが好きな人、音楽が好きで毎週2回もコンサートに行っている人などなど…普通の会社ではお目にかかれない面白い人たちがティラキタを作っています。
つい先日、ティラキタで一番最初に働いてくれていたうめぽんさんが「俺はミャンマーで出家する!」と言いながら、旅立って行きました。 旅立つ前に彼に会った時…
「え? ミャンマーにいくの? なにしに?」
「修行ですよ。瞑想の。」
「マジで? 正気?」
「心の底から本気です。もう、日本に帰ってこない予定ですから」
「え! 日本に帰ってこないつもりなの?」
と腰を抜かしたインドパパでしたが…その数カ月後、うめポンさんがミャンマーを出て、タイに帰ってきたとの連絡がありました。「あれ? ミャンマーで骨を埋めるはずだったのでは…」と思ったのですが、さてさて、どうしたのでしょう?
色々話を聞いてみたら大変面白く、きっとこの日本で彼しかしていない様な経験だったので、このブログに寄稿してもらいました!
長い文章ではありますが、大変興味深いのでぜひご一読ください。
ネパールで初めて瞑想というものをやってみた際、わずか10日間ながら、いろいろと面白い感覚を体験した。それは仏教のヴィパッサナー瞑想というもので、毎日仏教に関する法話もあった。その体験を通し、仏教というものに開眼していった。簡単に言えば、こりゃすごいと思った。
ちょうど10年前で、30代を目の前にし、今後の生き方に悩んでた時期だった。いったいこれから何をして生きていけばいいのか、「食べていけばいいのか」、そろそろ決めなければならないと考えていた。それでもそれはなかなか見つからず、焦ってもいた。そんな時に仏教に出会い、自分の気持は一気にそこに傾いていった。そうだ、出家しよう。
最初は日本での出家を模索したが、なかなかいいところが見つからない。いきなり永平寺に行こうとしたら、まず師僧を見つけてその紹介がなければ無理だと言われる。いろいろ伝手を探すうちに、日本の仏教界はともかく金がかかり、かつ完全に葬式商売と化してしまっていることを知った。いざ僧堂に入っても、継ぐ寺の無い在家出身者は結局普通の生活(サラリーマンとかに戻る人も多いそうで、なんだか熱も覚めていってしまった。
そんな時にミャンマーで出家し、一時帰国していた日本人比丘(僧侶)の話を聞く機会があった。向こうでは誰でも気軽に出家できる、金もそんなにかからない、一生修行したければできるし、いつだって還俗(普通の人に戻ること)できる。日本の僧侶にも「日本では修行できない」ということで東南アジアを目指す者も多々いる、などなど。
これだと思ったよね。そうだ、これでいこう。東南アジアは自分自身慣れ親しんだ土地だし、そこに骨を埋めるのも悪くない。なによりも、初めて瞑想を体験してから何度も一週間前後のリトリート(瞑想合宿)に参加してきたけど、いつも良い感じのところで終わってしまっていた。極めるにはもっと長期間、腰を据えてやるしかないと考えるようになっていた。
そう思い定めて今回やっとミャンマーに行ったわけだが……ともかく甘かったというのが感想である。
東南アジアで主流を占める上座部仏教の国々は「戒律のタイ」「学問のスリランカ」「瞑想のミャンマー」と言われ、ミャンマーには各地に瞑想修行を極めようという人が集まっている僧院がある。僕が入ったのはその内の一つで、ヤンゴンから車で2時間弱の森の中にある。周り360度全部森。逃げようにもバイタクに30分は乗らないと、幹線沿いの村に出られない。歩いて逃げようとしたらコブラが出る。つまり、修行に専念するには良い環境の場所だったといえよう。
特に、日本語の通訳がいるのが大きい。外国人受け入れに積極的なところもほぼすべてが、英語か中国語しか通じない。おそらく、日本で通訳してもらい指導を受けられるのは自分が行ったところだけではないだろうか?
到着した日、住職さんにいきなり「出家する?」と聞かれたが、僕は答えを保留することにした。上座部仏教の比丘(僧侶)は戒律が厳しく、原則的にはお金を自分で触って使うことすら出来ない。バンコクやヤンゴンなどの大都会では自分でお金を使ってる比丘もよく見かけるけど、あれ、厳密に言えば戒律違反だ。
実はお寺にも3種類あり、「町寺」「学問寺」「森林僧院(修行寺)」とある。町寺はあまり戒律に頓着せず、普通の人々の生活に混じって生きる、旅行者がよく見かけるタイプの寺。タバコを吸ったり、女性に英語で馴れ馴れしく話しかけてくるような坊さんはだいたいここの所属。学問寺は、パーリ語とおう経典が書かれた言語や、経典そのものを徹底的に学問的に極めようという人の集まり。そして森林僧院が、瞑想修行によって悟りを開こうという人の集まり。戒律を守ることも悟りに近づく必要条件なので、可能な限り厳密に守る。僕はこの「戒律」をどこまで守れるのか在家の立場で挑戦し、それでなんとかなりそうだったらあらためて出家しようと思ったのだ。
朝4時に起き、朝の瞑想。読経して、ホールで朝食を並んで受け取る。また瞑想し、昼食を受け取る。午後もずっと瞑想。夕方に終わり、ミャンマー人は夕方の読経に参加するが、外国人は自分の小屋に戻り、自室で瞑想して就寝することになる。ただし、ご飯を受け取る時間以外は厳格に決まってるわけでもない。体調が悪ければごろごろ寝てるのも自由だ。作務もという掃除などの労働も、あまり無い。このあたり、日本の修行僧のイメージで考えるとむちゃくちゃ楽で、場合によっては怠けているようにさえみえるかもしれない。だが彼らはそれこそ一生結婚も出来ず酒も飲めずセックスも出来ないわけで、短期の厳しい修行を終えたらあとは自由な日本の僧侶とどちらが楽か、厳しいかというのは、見方によるような気もする。
瞑想は、まずアナパナ瞑想という呼吸に集中することで意識に雑念を入らせず一つのことに集中できる能力を養うものをひたすらに行う。そうすると「いつか」ニミッタと言われる光が現れる。目を瞑ろうがなんだろうが、鼻先に太陽のように光り輝いているそうだ。
ニミッタが安定的に出るようになったら、これを用いていろいろなものに(たとえば地水火風の4大元素や、人間の体を構成する32の部分等)に集中し、それが決して一体の形を維持できないこと、つまり諸行無常をひとつずつ確認していく。そして最終的にヴィパッサナー瞑想に入り、この世の全てのものはルーパカラーパという光の粒のようなもので構成され、それが常に生滅変化し一切常なるものはなく、無常であり無我であることを心の底から体感し、執着を捨てさることで解脱涅槃を目指す……というような流れをたどる。
いろいろ難しいことを書いたけど、とにもかくにも「ニミッタ」と言われる光が出ないことには、先に進めないのだ。この僧院の本部には1000人以上の修行者がいるそうだが、その中で最後のヴィパッサナー瞑想までたどり着き全行程を終了する(これがイコール解脱ではない)人は、1000人中わずか数人だという。中には10年以上ニミッタが見えず、ただひたすら呼吸を観察し続けるだけの人もいるらしい。実は自分も日本で何度も瞑想会に参加してきたが、ニミッタが見えたことはない。
どうすれば見えるのか。これについて突き詰めると、極端に言えばわずか2つのアドバイスにまとまってしまうことになる。「決意が足りない」「波羅蜜が足りない」。まず一つ目は、つまるところ呼吸に完全に集中し妄想を出さないという決意が足りないというのだ。したがってもらえるアドバイスは「決意をもっと強くしがんばってください」というものになってしまう。
二つ目の波羅蜜というのはこれまでに積んできた功徳のようなもので、たとえば今の人生でまったく瞑想に縁がなかったのに、偶然参加した瞑想会でいきなりニミッタが出るような人というのは、前世で相当の波羅蜜を積んできたという解釈がなされる。世の中、特に瞑想とかしなくても子供の頃から自然にそれが出ていて、実はみんな出てると思い込んでる人もいるそうだ。もしこれを読んで「俺、出てるよ」という人がいるとしたら、あなたは前世で相当の波羅蜜を積んでるので、今すぐミャンマーに行って修行を完成するようおすすめします(笑)。この波羅蜜が足りない場合、たとえばお寺にお布施をするとか、瞑想会のボランティアに励むとか、そういう行為を通して波羅蜜を積むしか無いということになる。
タイやミャンマーにおいてなぜあれほどのお布施文化が花開いてるかというと、結局のところこの「波羅蜜」の発想が大きい。人間として生まれてしまった、貧しい家に生まれてしまった、修行に専念できる家に生まれられなかった……これはすべて波羅蜜が足りないからで、一生懸命お坊さんにお布施し波羅蜜を積んで、来世により悟りに近いところに生まれ変わりたいという願いにつながるわけだ。
もちろん、ニミッタが出なくても一生懸命修行すると「修行波羅蜜」というものを積むことになるので、その波羅蜜がいつか花開くことを期待することが出来る。だがそれは今生とは限らない。最悪、死ぬまで何十年も「ニミッタ出ない、ニミッタ出ない」と思いつめたまま過ごすことにもなりかねないのだ。
(もっとも、そのニミッタ自体に執着をしてはいけないというのもまた事実。何も期待せずにただ座る、曹洞宗で言うところの「只管打座」の精神は上座部仏教でも求められる面があり、ニミッタが少し出てきた際に喜んでそっちに意識を向けてしまうと消えてしまうので、安定するまで半ば無視する形でひたすらに、冷静に呼吸に意識を向け続けねばならないとされている)
僕は、ニミッタが出ないまま10年以上も呼吸観察を続けているという人のことを心底尊敬するね。でもそれはおそらく「信心」によるのかな、と思うことがある。東南アジアを旅行すれば何度も現地の人々の熱い信仰心を見ることが出来る。盛大なお布施をことあるごとに寺や比丘に対して行う。その心というのが、いわゆる無宗教な日本人にはおそらく理解できないのではないかと、たびたび思う。戒名料が高いとか文句をつける発想というのは、おそらく東南アジアの人々には逆に不思議に思えるかもしれない。
さて、自分の場合だが……過去参加してきた10日間ほどのりトリートでいいところまで行ったことがあり、だからこそ長期でやればなんとかと思って挑戦してみたのだが、今回の2ヶ月は、実はいままで参加してきたリトリートの中で最悪といっていいほど集中できないものになってしまった。どんなに座っても妄想をやり過ごすことが出来ない。たとえば「お腹へったなぁ」という思いが湧き出てくるのは仕方ない。だがそのあとで「ハンバーガーがいいな、いや、ピザがいい」などと思うと、それは妄想になってしまう。いまこの瞬間に気を向けるべきは呼吸だけであり、お腹が減ったという思いはただそれだけでやり過ごさねばならないのだ。
どうしても妄想が出てくる場合、数字を数える「数息観」を行う。吸って吐いて1、吸って吐いて2というのを8まで数えるのを繰り返すのだが、これも「1……2……お腹へったなぁ、牛丼食いたい、吉野家が一番うまいけど松屋の味噌汁もあれはあれでうまい、そういや味噌汁といえば……」と、気づいたら30分も妄想に浸ってたりするのだ。
今までの瞑想体験では、ちゃんと妄想を追いやり呼吸に集中できる状態というのは何度も体験してきた。だが今回はなぜか、それが出来ない。自分でも不思議なくらい出来なかった。
なによりも「暑さ」が大敵だった。僕が僧院にいた時期は暑季にあたり、1年で最も暑い時期だ。連日40度近い猛暑、夜も30度以下に気温が下がることがない日が1ヶ月以上も続く。頭の中は暑い、暑い、暑い……。ものすごい量の汗が体中を流れ、それがまるで虫が体をはうように感じる。あまり体を動かしてはいけないのだが、ついつい拭ってしまう。結局、最後まで妄想を追いやることは出来なかった。神秘体験の「し」すら無く、ただひたすらに妄想だけの日々だった。
では、修行の日々を「生活」という側面で捉えるとどうなるだろうか。かつてチンナワンソ藤川和尚というタイで出家された方がいらして、日本での集会に参加したことがある。そこで参加者の一人が「藤川さんを見てると、日本で行き詰まったらタイで出家すればなんとかなると気が楽になりました」と感想を述べていた。ニー仏さんというニコニコ生放送で有名になり今ではミャンマーで出家した人が、ブログにこんなミャンマー人の言葉を紹介してた。「自殺するぐらいなら出家すればいいんです」。また、mixiで日記を公開してる外こもりの人が、日記にいざとなったら出家しますと書いてた。
ニー仏さんのミャンマー人の発言はともかく、あとの二人の日本人の発言については、かつては自分も全くその通りだと思っていたのだが、実際に僧院で二ヶ月生活してみて思ったのは「甘い」と言うしか無いというものだった。あの生活は、日本のぬるま湯にひたった生活を続けてきた人間にとっては厳しいといっても過言ではない。
一日二食の托鉢は当然だが与えられるものであって、自分が好きなモノを買ったりリクエストできるわけではない。ミャンマー料理は決してまずくはない。おいしいものも多い。最初数日は喜んで食べていたのだが、次第に飽き出す。最後は申し訳ないが、見るだけで吐き気を及ぼすほどになった。それが毎日2食365日何年も何年も続くことを考えただけで絶望的になった。これはおそらく日本食でも同じだと思う。今の日本人は和洋中取り混ぜたバラエティ豊かな食生活を送ることが普通になっている。毎日ひたすら日本食だけを食べる生活は、きっと辛いものになるに違いない。
ベッドは戒律によって、豪華な寝床はダメということになっている。そこで寝るのは板の上ということになる。マットはない。慣れるどころか……しまいには肩や腰など終始痛むようになり、安眠とは遠い日々になった。連日40度近い、ただひたすらに暑い日々。冷房などどこにもなく、冷水機も頻繁な停電でろくに動かず、冷たいものを飲むという事自体がありえない、夢の様なものとなってしまった。僕は今まで世界のいろいろなところを旅してきたが、日本食を食べたい、氷の入った飲み物を飲みたいと今回ほど心の底から思ったことはない。
そして何よりも……性行為の禁止が辛かった。いわゆる普通の生活を送っていても仏教徒には「邪な行為をしない」という言い方で、不倫などが戒められている。
実はお酒も比丘だけでなく在家も飲んじゃいけないことになってるんだけど、なぜか仏教国はイスラム国に比べお酒が自由に飲める緩い国ということになってしまってる。インドのほうが厳しいぐらい。これは実は戒律というものの仕組みによる。戒律には2つの意味があって、戒めと、律の2つに分かれる。戒めは自分自身の努力目標のようなもので、破っても反省し今後に活かせばいいという性質のもの。律は法律、規律というように、それを破ったら基本、罰せられる性質のもの。森林僧院とはいえ自分はまだ在家だから戒めレベルだとは言えるのだが、修行を完成させるには比丘並に戒律を守らねばならないとされるのだ。
比丘や僧院で修行する在家に課せられる性行為に関する戒律とはそのものずばり「性行為をしない」というものになる。夫婦だろうが自分で自分を慰めようが、ともかく、性行為は一切何が何でも禁止。比丘がセックスしたら即追放、二度と比丘になれない。これは仏教界からの追放を意味し、ある意味では死刑に相当する。自慰行為も何度かはいいが、そのたびに皆の前で告白し謹慎などの罰を受けねばならず、数が重なるとこれも追放になる。
自分が出家し比丘になることを選ばなかったのは、この戒律が守れるか、そこが心配だったからだ。他の戒律というのは僧院にいると、自然に守れる。嘘をつくなと言っても瞑想ばかりで会話の機会がない僧院では数日誰とも話さないこともザラ。ベッドは固い。生き物を殺さないというのは、ある意味、覚悟を決めて蚊やアリを見逃すようにすればいい。慣れの問題だろう。だが自慰は……溜まっていくのよ。
数日はいい。これが1週間、10日、2週間となっていくと……妄想のすべてがエッチなものに支配されていく。ご飯を食べようが何しようがすべてこれ。そしてある晩、ついに我慢できなくなり行なってしまった。この時点で、あぁこりゃダメだ、出家できないと分かった。
作家で僧侶の南直哉氏はその著書の中で、永平寺での修行時代に我慢しようとしてみたがダメだったと書いている。ということはつまり、氏は東南アジアでは比丘になれないということになる。
こう書くと「嘘だー。比丘だって実はこっそりやってんじゃないの?」と言われると思うし、自分自身そうだとは思うけど、なぜ修行するのかと言われたらそれは悟りを開くためで、そのためには戒律を守ることも大事だというのに、その上で破って修行してたらいったいどうなってしまうのか? と僕は思ってしまうのだ。それこそ一生ニミッタが出ない、それは戒律を守らないせいだ……ということにもなってしまう。
チンナワンソ藤川和尚の著書に出てくる話なのだが、実際、こちらの森林僧院の中には、ミイラを置いてるところもあるそうだ。性欲を感じたらその死体を見て「死随念」と言われる瞑想をするのだ。その死体は若いころむちゃくちゃ美人だった女性の死体で、それが見るも無残なミイラと化している。どんなに若く美しい女性であっても結局は無残な姿になるということを自分に言い聞かせ、性欲を抑えるわけだ。それでも抑えきれなければどうするかという質問に、比丘は「その際は還俗します」と答えたそうだ。それはつまり、在家の立場で修行してる自分も、抑え切れない以上僧院で修行を続ける資格が無いということを意味するわけで、いろいろ辛いことはあったけど、この戒律を破った時点で食事がどうとか、暑さがどうとか言える状況でもなかったのかもしれないと、今は思う。
この修行の日々で学んだことは何か? ある意味では悟りと真逆のものばかりだった。気が向いた時に冷たいものを飲め、好きなモノを食べられる生活がどれだけ素晴らしいものか。お金を使い好きなものを買える、性行為が出来るという自由があるということがどれだけ人間の尊厳につながっているか。すべてが与えられ選択権がなく自由が縛られる日々というのは、プライドを傷つけられ自由を奪われるように感じたのだ。
ブッダはそういう自由などすべてまやかしであるという。この世にあるのは苦しみだけだと。たしかに生老病死の四苦をはじめとし、この世の苦しみはお金があっても解決しないことが多い。だがお金があることは、それらの苦しみを徹底的なまでに軽減することにつながるのではないか? たしかにそれでも解決しない問題はあるが、そういう究極の悩みというのは、ある意味では徹底的に欲望を満たした体験を経なければわからないことなのかもしれないと思うようになった。ブッダ自身、もともと王子様でこの世のありとあらゆる快楽を満喫し、そのうえで虚しさを感じて出家したわけだしね。
かたや自分は……とてもじゃないが、この世の快楽を極め、それを虚しいと感じたなどと言える立場の人間じゃない。お金があれば行ってみたい所、食べてみたいもの、体験したいもの、そういうのはいくらでもある。東南アジアの人々のように、子供の頃から仏教に触れ、輪廻転生を無条件で信じ、布施の効果を確信するような人生を送って来なかった。
実は「ブッダが教えた瞑想法は2500年前の社会情勢に応じたものなのであって、現代人がそのまま真似ても無理がある」という人がいる。実際、あの戒律を日本など寒い国でそのまま守るのは事実上不可能だ。そもそも托鉢でご飯がもらえず、死ぬしか無いだろう。であれば、せめてその状況を可能な限り再現しようとしてる東南アジアの僧院に入ればどうにかなるのではと思ったが、環境をいくら変えても、この自分というのは消費社会の生活にどっぷりと使って何十年も生きてきた自分なのであった。そのことを痛感させられた日々だった。
自分は情けないことにわずか2ヶ月で修行を終えることになってしまい、10年間思い描いてきた僧侶にすらなれなかった。これはひとえに、自分が唯ただ情けない人間だからに過ぎない。タイにもミャンマーにも、ちゃんと出家し、長年修行を続けている日本人は何人もいる。彼らと自分の違いについて考えると、ひとつ、ヒントがある。それはやはり、それまでの生活において、どちらかというと快楽的なものをちゃんと極め、満喫した人が多い、ということだ。先のチンナワンソ藤川和尚は元社長で、大量の金を使った放蕩三昧の生活を満喫したそうだ。自分が実際に会った修行者にも、ナンパでいくらでも女性を釣ることが出来、セックスに不自由したことはないという人がいた。もちろんそういう人ばかりではないが、俗世間での生活を「ちゃんと、心底」満喫し、その上でそれで「心底飽きる、虚しさを感じる」というのは、修行や出家生活を成功させる一つの要素のような気もする。もしくは、本当に自殺してしまうぐらいこの世の生活を苦しいものと感じたような人とか。
そもそも自分はなぜ修行してみようと思ったのか? やはりそれはどう言っても、神秘体験への好奇心に過ぎなかった。輪廻転生への恐怖、解脱を切望する思いというのは、正直言って無かった。何度か体験した瞑想での不思議な感覚、それをもっと奥深く体験してみたいというのが動機だった。
そして実は……バックパッカーをやってるといろいろな体験をするきっかけがある。そのひとつに、南米のシャーマンが儀式に用いる「アヤワスカ」というのを体験したことがある。その際に見たビジョンがとても強烈だったのだ。この世のあらゆるものがすべて光の粒子に還元していく。その時、ああ、これこそこの世のあらゆる物の真実なのだと理解した。後日、上座部仏教の修行を極めた方にこの時の体験を話したら「それはまさにルーパカラーパですよ」と言われた。ヴィパッサナー瞑想を極めて初めて見ることが出来るこの世の実相をアヤワスカで見てしまったわけだ。
だが実は、最後のアヤワスカでこんなビジョンも見た。そこにはもう一人の自分と、ドアがあった。そのドアの向こうには究極の真理があるのだが、もうひとりの自分はこう言った。
「今のお前はアヤワスカの力を借りてここに来たにすぎない。もし今のお前がこの扉の向こうに行くと必ず発狂するから止めておけ。もしどうしても見たいならば物質の力を借りずにここまで来い」
それを聞き、自分は行くのを止め、修行して自力で辿り着こうと決めた。とはいえ、その時その扉の向こうをちらっと覗き見たが、そこは想像を絶する、言葉には出来ない世界だった。あえて表現すれば絶対完全の無と言おうか。常人が接したらそのあまりの虚無に発狂せざるを得ないというのは、その一瞥だけでよくわかった。
まぁそんなわけで自力での達成を目指したのだが、今回は無理だったわけだ。この自力という言葉は上座部での修行において重要なキーワードで、たとえばヴィパッサナー瞑想にたどり着く前に前世を見る瞑想を行う過程がある。無限に近い前世を省みて、無駄な輪廻を繰り返してきた、もうこんなバカなことは止めて解脱しようという思いを起こさせるために行うわけだが、この瞑想も、前世を見ても発狂しないぐらいの精神力が鍛えられて初めて見えるようになるそうだ。それまでは自分の無意識とでも言うものがストッパーをかけており、だからこそ普通の人は前世を見ることが出来ないとのこと。
ともかく、東南アジアにおける出家、僧院生活を、日本の職業僧侶のような一種の仕事、ライフスタイルと捉えるのは無理があるように思う。また、何度かの瞑想体験などの好奇心だけで参加すると、自分のような辛さを感じてしまうようにも思う。日本で仏門に入る以上の覚悟が必要で、そうでなければそれはただの体験に終わってしまうのではないか。僕はそう思います。
【おまけ】
実は僧院で、こうした種々の欲が消え去る体験をした日本人修行者に話を聞くことが出来た。「とあること」までは自分もいろんな欲に苛まれていたのだが、「とあること」を経てそれらが一気に薄くなっていった。今では毎日ミャンマー料理でも平気だし、暑さやベッドの硬さもそんなに気にならないし、セックスもしたくなくなったし、そういういろんな欲望が徹底的に薄くなった、と。
その「とあること」とは、「正見」の実相をつかむこと。その瞬間、すべてが一気に腑に落ちて、ああーというひらめきというか、悟りがあったそうだ。
正見というのは八正道という、仏教において修行の基本となる8種の実践項目の一番目。精進とか禅定(瞑想)などはすべてその正見が土台にあって初めて意味があるので、ただひたすら瞑想したって意味無いですよと言われた。彼は最初、ただ座ってても意味が無いと考え、瞑想をすべてすっぽかし。ただひたすらに経典や仏教の参考書を読んで、正見をつかむことに専念したそうだ。そして掴んだと実感してから座った初めての瞑想で、ニミッタが出たという。
正見をつかむのに決意も波羅蜜も関係ない。ともかく理詰めの世界なので、昔ながらののんびり生活のミャンマー人は決意や波羅蜜でなんとかなるかもしれないけど、理屈先行型の頭でっかち日本人は正見をつかむことから始めたほうが絶対いいですとも言われた。
おすすめ書籍も紹介してもらったので、可能性があるとすればこの道しか残っていないような気がする。だけどその前に、結局のところこの世の快楽や金を使う楽しさをほんとうの意味で満喫してからでなければ、心底悟りを開きたいという気持ちにすらならないような気もしている。そもそも悟りを開くってなんだろうね? というレベルにまで落ち込んでしまってるのが今の現状。EO師というごく一部でだけ有名な覚者は「悟りは全員に必要な物じゃない。それが無いと死んでしまうというごく一部の人間にだけ必要なものであって、無縁で済むならそれでいい」とか言ってたっけ。それもそうかなぁと思う、今日この頃。
ティラキタは日本で一番インドの香りがするお店をモットーにしていますので、ティラキタに働きに来てくれる人もまた、個性の強い人が多いのが特徴です。サンスクリット語が読める人、バックパッカーだった人、野外フェスが好きな人、音楽が好きで毎週2回もコンサートに行っている人などなど…普通の会社ではお目にかかれない面白い人たちがティラキタを作っています。
つい先日、ティラキタで一番最初に働いてくれていたうめぽんさんが「俺はミャンマーで出家する!」と言いながら、旅立って行きました。 旅立つ前に彼に会った時…
「え? ミャンマーにいくの? なにしに?」
「修行ですよ。瞑想の。」
「マジで? 正気?」
「心の底から本気です。もう、日本に帰ってこない予定ですから」
「え! 日本に帰ってこないつもりなの?」
と腰を抜かしたインドパパでしたが…その数カ月後、うめポンさんがミャンマーを出て、タイに帰ってきたとの連絡がありました。「あれ? ミャンマーで骨を埋めるはずだったのでは…」と思ったのですが、さてさて、どうしたのでしょう?
色々話を聞いてみたら大変面白く、きっとこの日本で彼しかしていない様な経験だったので、このブログに寄稿してもらいました!
長い文章ではありますが、大変興味深いのでぜひご一読ください。
ミャンマーお寺生活記 |
ネパールで初めて瞑想というものをやってみた際、わずか10日間ながら、いろいろと面白い感覚を体験した。それは仏教のヴィパッサナー瞑想というもので、毎日仏教に関する法話もあった。その体験を通し、仏教というものに開眼していった。簡単に言えば、こりゃすごいと思った。
ちょうど10年前で、30代を目の前にし、今後の生き方に悩んでた時期だった。いったいこれから何をして生きていけばいいのか、「食べていけばいいのか」、そろそろ決めなければならないと考えていた。それでもそれはなかなか見つからず、焦ってもいた。そんな時に仏教に出会い、自分の気持は一気にそこに傾いていった。そうだ、出家しよう。
最初は日本での出家を模索したが、なかなかいいところが見つからない。いきなり永平寺に行こうとしたら、まず師僧を見つけてその紹介がなければ無理だと言われる。いろいろ伝手を探すうちに、日本の仏教界はともかく金がかかり、かつ完全に葬式商売と化してしまっていることを知った。いざ僧堂に入っても、継ぐ寺の無い在家出身者は結局普通の生活(サラリーマンとかに戻る人も多いそうで、なんだか熱も覚めていってしまった。
そんな時にミャンマーで出家し、一時帰国していた日本人比丘(僧侶)の話を聞く機会があった。向こうでは誰でも気軽に出家できる、金もそんなにかからない、一生修行したければできるし、いつだって還俗(普通の人に戻ること)できる。日本の僧侶にも「日本では修行できない」ということで東南アジアを目指す者も多々いる、などなど。
これだと思ったよね。そうだ、これでいこう。東南アジアは自分自身慣れ親しんだ土地だし、そこに骨を埋めるのも悪くない。なによりも、初めて瞑想を体験してから何度も一週間前後のリトリート(瞑想合宿)に参加してきたけど、いつも良い感じのところで終わってしまっていた。極めるにはもっと長期間、腰を据えてやるしかないと考えるようになっていた。
そう思い定めて今回やっとミャンマーに行ったわけだが……ともかく甘かったというのが感想である。
東南アジアで主流を占める上座部仏教の国々は「戒律のタイ」「学問のスリランカ」「瞑想のミャンマー」と言われ、ミャンマーには各地に瞑想修行を極めようという人が集まっている僧院がある。僕が入ったのはその内の一つで、ヤンゴンから車で2時間弱の森の中にある。周り360度全部森。逃げようにもバイタクに30分は乗らないと、幹線沿いの村に出られない。歩いて逃げようとしたらコブラが出る。つまり、修行に専念するには良い環境の場所だったといえよう。
特に、日本語の通訳がいるのが大きい。外国人受け入れに積極的なところもほぼすべてが、英語か中国語しか通じない。おそらく、日本で通訳してもらい指導を受けられるのは自分が行ったところだけではないだろうか?
到着した日、住職さんにいきなり「出家する?」と聞かれたが、僕は答えを保留することにした。上座部仏教の比丘(僧侶)は戒律が厳しく、原則的にはお金を自分で触って使うことすら出来ない。バンコクやヤンゴンなどの大都会では自分でお金を使ってる比丘もよく見かけるけど、あれ、厳密に言えば戒律違反だ。
実はお寺にも3種類あり、「町寺」「学問寺」「森林僧院(修行寺)」とある。町寺はあまり戒律に頓着せず、普通の人々の生活に混じって生きる、旅行者がよく見かけるタイプの寺。タバコを吸ったり、女性に英語で馴れ馴れしく話しかけてくるような坊さんはだいたいここの所属。学問寺は、パーリ語とおう経典が書かれた言語や、経典そのものを徹底的に学問的に極めようという人の集まり。そして森林僧院が、瞑想修行によって悟りを開こうという人の集まり。戒律を守ることも悟りに近づく必要条件なので、可能な限り厳密に守る。僕はこの「戒律」をどこまで守れるのか在家の立場で挑戦し、それでなんとかなりそうだったらあらためて出家しようと思ったのだ。
朝4時に起き、朝の瞑想。読経して、ホールで朝食を並んで受け取る。また瞑想し、昼食を受け取る。午後もずっと瞑想。夕方に終わり、ミャンマー人は夕方の読経に参加するが、外国人は自分の小屋に戻り、自室で瞑想して就寝することになる。ただし、ご飯を受け取る時間以外は厳格に決まってるわけでもない。体調が悪ければごろごろ寝てるのも自由だ。作務もという掃除などの労働も、あまり無い。このあたり、日本の修行僧のイメージで考えるとむちゃくちゃ楽で、場合によっては怠けているようにさえみえるかもしれない。だが彼らはそれこそ一生結婚も出来ず酒も飲めずセックスも出来ないわけで、短期の厳しい修行を終えたらあとは自由な日本の僧侶とどちらが楽か、厳しいかというのは、見方によるような気もする。
瞑想は、まずアナパナ瞑想という呼吸に集中することで意識に雑念を入らせず一つのことに集中できる能力を養うものをひたすらに行う。そうすると「いつか」ニミッタと言われる光が現れる。目を瞑ろうがなんだろうが、鼻先に太陽のように光り輝いているそうだ。
ニミッタが安定的に出るようになったら、これを用いていろいろなものに(たとえば地水火風の4大元素や、人間の体を構成する32の部分等)に集中し、それが決して一体の形を維持できないこと、つまり諸行無常をひとつずつ確認していく。そして最終的にヴィパッサナー瞑想に入り、この世の全てのものはルーパカラーパという光の粒のようなもので構成され、それが常に生滅変化し一切常なるものはなく、無常であり無我であることを心の底から体感し、執着を捨てさることで解脱涅槃を目指す……というような流れをたどる。
いろいろ難しいことを書いたけど、とにもかくにも「ニミッタ」と言われる光が出ないことには、先に進めないのだ。この僧院の本部には1000人以上の修行者がいるそうだが、その中で最後のヴィパッサナー瞑想までたどり着き全行程を終了する(これがイコール解脱ではない)人は、1000人中わずか数人だという。中には10年以上ニミッタが見えず、ただひたすら呼吸を観察し続けるだけの人もいるらしい。実は自分も日本で何度も瞑想会に参加してきたが、ニミッタが見えたことはない。
どうすれば見えるのか。これについて突き詰めると、極端に言えばわずか2つのアドバイスにまとまってしまうことになる。「決意が足りない」「波羅蜜が足りない」。まず一つ目は、つまるところ呼吸に完全に集中し妄想を出さないという決意が足りないというのだ。したがってもらえるアドバイスは「決意をもっと強くしがんばってください」というものになってしまう。
二つ目の波羅蜜というのはこれまでに積んできた功徳のようなもので、たとえば今の人生でまったく瞑想に縁がなかったのに、偶然参加した瞑想会でいきなりニミッタが出るような人というのは、前世で相当の波羅蜜を積んできたという解釈がなされる。世の中、特に瞑想とかしなくても子供の頃から自然にそれが出ていて、実はみんな出てると思い込んでる人もいるそうだ。もしこれを読んで「俺、出てるよ」という人がいるとしたら、あなたは前世で相当の波羅蜜を積んでるので、今すぐミャンマーに行って修行を完成するようおすすめします(笑)。この波羅蜜が足りない場合、たとえばお寺にお布施をするとか、瞑想会のボランティアに励むとか、そういう行為を通して波羅蜜を積むしか無いということになる。
タイやミャンマーにおいてなぜあれほどのお布施文化が花開いてるかというと、結局のところこの「波羅蜜」の発想が大きい。人間として生まれてしまった、貧しい家に生まれてしまった、修行に専念できる家に生まれられなかった……これはすべて波羅蜜が足りないからで、一生懸命お坊さんにお布施し波羅蜜を積んで、来世により悟りに近いところに生まれ変わりたいという願いにつながるわけだ。
もちろん、ニミッタが出なくても一生懸命修行すると「修行波羅蜜」というものを積むことになるので、その波羅蜜がいつか花開くことを期待することが出来る。だがそれは今生とは限らない。最悪、死ぬまで何十年も「ニミッタ出ない、ニミッタ出ない」と思いつめたまま過ごすことにもなりかねないのだ。
(もっとも、そのニミッタ自体に執着をしてはいけないというのもまた事実。何も期待せずにただ座る、曹洞宗で言うところの「只管打座」の精神は上座部仏教でも求められる面があり、ニミッタが少し出てきた際に喜んでそっちに意識を向けてしまうと消えてしまうので、安定するまで半ば無視する形でひたすらに、冷静に呼吸に意識を向け続けねばならないとされている)
僕は、ニミッタが出ないまま10年以上も呼吸観察を続けているという人のことを心底尊敬するね。でもそれはおそらく「信心」によるのかな、と思うことがある。東南アジアを旅行すれば何度も現地の人々の熱い信仰心を見ることが出来る。盛大なお布施をことあるごとに寺や比丘に対して行う。その心というのが、いわゆる無宗教な日本人にはおそらく理解できないのではないかと、たびたび思う。戒名料が高いとか文句をつける発想というのは、おそらく東南アジアの人々には逆に不思議に思えるかもしれない。
さて、自分の場合だが……過去参加してきた10日間ほどのりトリートでいいところまで行ったことがあり、だからこそ長期でやればなんとかと思って挑戦してみたのだが、今回の2ヶ月は、実はいままで参加してきたリトリートの中で最悪といっていいほど集中できないものになってしまった。どんなに座っても妄想をやり過ごすことが出来ない。たとえば「お腹へったなぁ」という思いが湧き出てくるのは仕方ない。だがそのあとで「ハンバーガーがいいな、いや、ピザがいい」などと思うと、それは妄想になってしまう。いまこの瞬間に気を向けるべきは呼吸だけであり、お腹が減ったという思いはただそれだけでやり過ごさねばならないのだ。
どうしても妄想が出てくる場合、数字を数える「数息観」を行う。吸って吐いて1、吸って吐いて2というのを8まで数えるのを繰り返すのだが、これも「1……2……お腹へったなぁ、牛丼食いたい、吉野家が一番うまいけど松屋の味噌汁もあれはあれでうまい、そういや味噌汁といえば……」と、気づいたら30分も妄想に浸ってたりするのだ。
今までの瞑想体験では、ちゃんと妄想を追いやり呼吸に集中できる状態というのは何度も体験してきた。だが今回はなぜか、それが出来ない。自分でも不思議なくらい出来なかった。
なによりも「暑さ」が大敵だった。僕が僧院にいた時期は暑季にあたり、1年で最も暑い時期だ。連日40度近い猛暑、夜も30度以下に気温が下がることがない日が1ヶ月以上も続く。頭の中は暑い、暑い、暑い……。ものすごい量の汗が体中を流れ、それがまるで虫が体をはうように感じる。あまり体を動かしてはいけないのだが、ついつい拭ってしまう。結局、最後まで妄想を追いやることは出来なかった。神秘体験の「し」すら無く、ただひたすらに妄想だけの日々だった。
では、修行の日々を「生活」という側面で捉えるとどうなるだろうか。かつてチンナワンソ藤川和尚というタイで出家された方がいらして、日本での集会に参加したことがある。そこで参加者の一人が「藤川さんを見てると、日本で行き詰まったらタイで出家すればなんとかなると気が楽になりました」と感想を述べていた。ニー仏さんというニコニコ生放送で有名になり今ではミャンマーで出家した人が、ブログにこんなミャンマー人の言葉を紹介してた。「自殺するぐらいなら出家すればいいんです」。また、mixiで日記を公開してる外こもりの人が、日記にいざとなったら出家しますと書いてた。
ニー仏さんのミャンマー人の発言はともかく、あとの二人の日本人の発言については、かつては自分も全くその通りだと思っていたのだが、実際に僧院で二ヶ月生活してみて思ったのは「甘い」と言うしか無いというものだった。あの生活は、日本のぬるま湯にひたった生活を続けてきた人間にとっては厳しいといっても過言ではない。
一日二食の托鉢は当然だが与えられるものであって、自分が好きなモノを買ったりリクエストできるわけではない。ミャンマー料理は決してまずくはない。おいしいものも多い。最初数日は喜んで食べていたのだが、次第に飽き出す。最後は申し訳ないが、見るだけで吐き気を及ぼすほどになった。それが毎日2食365日何年も何年も続くことを考えただけで絶望的になった。これはおそらく日本食でも同じだと思う。今の日本人は和洋中取り混ぜたバラエティ豊かな食生活を送ることが普通になっている。毎日ひたすら日本食だけを食べる生活は、きっと辛いものになるに違いない。
ベッドは戒律によって、豪華な寝床はダメということになっている。そこで寝るのは板の上ということになる。マットはない。慣れるどころか……しまいには肩や腰など終始痛むようになり、安眠とは遠い日々になった。連日40度近い、ただひたすらに暑い日々。冷房などどこにもなく、冷水機も頻繁な停電でろくに動かず、冷たいものを飲むという事自体がありえない、夢の様なものとなってしまった。僕は今まで世界のいろいろなところを旅してきたが、日本食を食べたい、氷の入った飲み物を飲みたいと今回ほど心の底から思ったことはない。
そして何よりも……性行為の禁止が辛かった。いわゆる普通の生活を送っていても仏教徒には「邪な行為をしない」という言い方で、不倫などが戒められている。
実はお酒も比丘だけでなく在家も飲んじゃいけないことになってるんだけど、なぜか仏教国はイスラム国に比べお酒が自由に飲める緩い国ということになってしまってる。インドのほうが厳しいぐらい。これは実は戒律というものの仕組みによる。戒律には2つの意味があって、戒めと、律の2つに分かれる。戒めは自分自身の努力目標のようなもので、破っても反省し今後に活かせばいいという性質のもの。律は法律、規律というように、それを破ったら基本、罰せられる性質のもの。森林僧院とはいえ自分はまだ在家だから戒めレベルだとは言えるのだが、修行を完成させるには比丘並に戒律を守らねばならないとされるのだ。
比丘や僧院で修行する在家に課せられる性行為に関する戒律とはそのものずばり「性行為をしない」というものになる。夫婦だろうが自分で自分を慰めようが、ともかく、性行為は一切何が何でも禁止。比丘がセックスしたら即追放、二度と比丘になれない。これは仏教界からの追放を意味し、ある意味では死刑に相当する。自慰行為も何度かはいいが、そのたびに皆の前で告白し謹慎などの罰を受けねばならず、数が重なるとこれも追放になる。
自分が出家し比丘になることを選ばなかったのは、この戒律が守れるか、そこが心配だったからだ。他の戒律というのは僧院にいると、自然に守れる。嘘をつくなと言っても瞑想ばかりで会話の機会がない僧院では数日誰とも話さないこともザラ。ベッドは固い。生き物を殺さないというのは、ある意味、覚悟を決めて蚊やアリを見逃すようにすればいい。慣れの問題だろう。だが自慰は……溜まっていくのよ。
数日はいい。これが1週間、10日、2週間となっていくと……妄想のすべてがエッチなものに支配されていく。ご飯を食べようが何しようがすべてこれ。そしてある晩、ついに我慢できなくなり行なってしまった。この時点で、あぁこりゃダメだ、出家できないと分かった。
作家で僧侶の南直哉氏はその著書の中で、永平寺での修行時代に我慢しようとしてみたがダメだったと書いている。ということはつまり、氏は東南アジアでは比丘になれないということになる。
こう書くと「嘘だー。比丘だって実はこっそりやってんじゃないの?」と言われると思うし、自分自身そうだとは思うけど、なぜ修行するのかと言われたらそれは悟りを開くためで、そのためには戒律を守ることも大事だというのに、その上で破って修行してたらいったいどうなってしまうのか? と僕は思ってしまうのだ。それこそ一生ニミッタが出ない、それは戒律を守らないせいだ……ということにもなってしまう。
チンナワンソ藤川和尚の著書に出てくる話なのだが、実際、こちらの森林僧院の中には、ミイラを置いてるところもあるそうだ。性欲を感じたらその死体を見て「死随念」と言われる瞑想をするのだ。その死体は若いころむちゃくちゃ美人だった女性の死体で、それが見るも無残なミイラと化している。どんなに若く美しい女性であっても結局は無残な姿になるということを自分に言い聞かせ、性欲を抑えるわけだ。それでも抑えきれなければどうするかという質問に、比丘は「その際は還俗します」と答えたそうだ。それはつまり、在家の立場で修行してる自分も、抑え切れない以上僧院で修行を続ける資格が無いということを意味するわけで、いろいろ辛いことはあったけど、この戒律を破った時点で食事がどうとか、暑さがどうとか言える状況でもなかったのかもしれないと、今は思う。
この修行の日々で学んだことは何か? ある意味では悟りと真逆のものばかりだった。気が向いた時に冷たいものを飲め、好きなモノを食べられる生活がどれだけ素晴らしいものか。お金を使い好きなものを買える、性行為が出来るという自由があるということがどれだけ人間の尊厳につながっているか。すべてが与えられ選択権がなく自由が縛られる日々というのは、プライドを傷つけられ自由を奪われるように感じたのだ。
ブッダはそういう自由などすべてまやかしであるという。この世にあるのは苦しみだけだと。たしかに生老病死の四苦をはじめとし、この世の苦しみはお金があっても解決しないことが多い。だがお金があることは、それらの苦しみを徹底的なまでに軽減することにつながるのではないか? たしかにそれでも解決しない問題はあるが、そういう究極の悩みというのは、ある意味では徹底的に欲望を満たした体験を経なければわからないことなのかもしれないと思うようになった。ブッダ自身、もともと王子様でこの世のありとあらゆる快楽を満喫し、そのうえで虚しさを感じて出家したわけだしね。
かたや自分は……とてもじゃないが、この世の快楽を極め、それを虚しいと感じたなどと言える立場の人間じゃない。お金があれば行ってみたい所、食べてみたいもの、体験したいもの、そういうのはいくらでもある。東南アジアの人々のように、子供の頃から仏教に触れ、輪廻転生を無条件で信じ、布施の効果を確信するような人生を送って来なかった。
実は「ブッダが教えた瞑想法は2500年前の社会情勢に応じたものなのであって、現代人がそのまま真似ても無理がある」という人がいる。実際、あの戒律を日本など寒い国でそのまま守るのは事実上不可能だ。そもそも托鉢でご飯がもらえず、死ぬしか無いだろう。であれば、せめてその状況を可能な限り再現しようとしてる東南アジアの僧院に入ればどうにかなるのではと思ったが、環境をいくら変えても、この自分というのは消費社会の生活にどっぷりと使って何十年も生きてきた自分なのであった。そのことを痛感させられた日々だった。
自分は情けないことにわずか2ヶ月で修行を終えることになってしまい、10年間思い描いてきた僧侶にすらなれなかった。これはひとえに、自分が唯ただ情けない人間だからに過ぎない。タイにもミャンマーにも、ちゃんと出家し、長年修行を続けている日本人は何人もいる。彼らと自分の違いについて考えると、ひとつ、ヒントがある。それはやはり、それまでの生活において、どちらかというと快楽的なものをちゃんと極め、満喫した人が多い、ということだ。先のチンナワンソ藤川和尚は元社長で、大量の金を使った放蕩三昧の生活を満喫したそうだ。自分が実際に会った修行者にも、ナンパでいくらでも女性を釣ることが出来、セックスに不自由したことはないという人がいた。もちろんそういう人ばかりではないが、俗世間での生活を「ちゃんと、心底」満喫し、その上でそれで「心底飽きる、虚しさを感じる」というのは、修行や出家生活を成功させる一つの要素のような気もする。もしくは、本当に自殺してしまうぐらいこの世の生活を苦しいものと感じたような人とか。
そもそも自分はなぜ修行してみようと思ったのか? やはりそれはどう言っても、神秘体験への好奇心に過ぎなかった。輪廻転生への恐怖、解脱を切望する思いというのは、正直言って無かった。何度か体験した瞑想での不思議な感覚、それをもっと奥深く体験してみたいというのが動機だった。
そして実は……バックパッカーをやってるといろいろな体験をするきっかけがある。そのひとつに、南米のシャーマンが儀式に用いる「アヤワスカ」というのを体験したことがある。その際に見たビジョンがとても強烈だったのだ。この世のあらゆるものがすべて光の粒子に還元していく。その時、ああ、これこそこの世のあらゆる物の真実なのだと理解した。後日、上座部仏教の修行を極めた方にこの時の体験を話したら「それはまさにルーパカラーパですよ」と言われた。ヴィパッサナー瞑想を極めて初めて見ることが出来るこの世の実相をアヤワスカで見てしまったわけだ。
だが実は、最後のアヤワスカでこんなビジョンも見た。そこにはもう一人の自分と、ドアがあった。そのドアの向こうには究極の真理があるのだが、もうひとりの自分はこう言った。
「今のお前はアヤワスカの力を借りてここに来たにすぎない。もし今のお前がこの扉の向こうに行くと必ず発狂するから止めておけ。もしどうしても見たいならば物質の力を借りずにここまで来い」
それを聞き、自分は行くのを止め、修行して自力で辿り着こうと決めた。とはいえ、その時その扉の向こうをちらっと覗き見たが、そこは想像を絶する、言葉には出来ない世界だった。あえて表現すれば絶対完全の無と言おうか。常人が接したらそのあまりの虚無に発狂せざるを得ないというのは、その一瞥だけでよくわかった。
まぁそんなわけで自力での達成を目指したのだが、今回は無理だったわけだ。この自力という言葉は上座部での修行において重要なキーワードで、たとえばヴィパッサナー瞑想にたどり着く前に前世を見る瞑想を行う過程がある。無限に近い前世を省みて、無駄な輪廻を繰り返してきた、もうこんなバカなことは止めて解脱しようという思いを起こさせるために行うわけだが、この瞑想も、前世を見ても発狂しないぐらいの精神力が鍛えられて初めて見えるようになるそうだ。それまでは自分の無意識とでも言うものがストッパーをかけており、だからこそ普通の人は前世を見ることが出来ないとのこと。
ともかく、東南アジアにおける出家、僧院生活を、日本の職業僧侶のような一種の仕事、ライフスタイルと捉えるのは無理があるように思う。また、何度かの瞑想体験などの好奇心だけで参加すると、自分のような辛さを感じてしまうようにも思う。日本で仏門に入る以上の覚悟が必要で、そうでなければそれはただの体験に終わってしまうのではないか。僕はそう思います。
【おまけ】
実は僧院で、こうした種々の欲が消え去る体験をした日本人修行者に話を聞くことが出来た。「とあること」までは自分もいろんな欲に苛まれていたのだが、「とあること」を経てそれらが一気に薄くなっていった。今では毎日ミャンマー料理でも平気だし、暑さやベッドの硬さもそんなに気にならないし、セックスもしたくなくなったし、そういういろんな欲望が徹底的に薄くなった、と。
その「とあること」とは、「正見」の実相をつかむこと。その瞬間、すべてが一気に腑に落ちて、ああーというひらめきというか、悟りがあったそうだ。
正見というのは八正道という、仏教において修行の基本となる8種の実践項目の一番目。精進とか禅定(瞑想)などはすべてその正見が土台にあって初めて意味があるので、ただひたすら瞑想したって意味無いですよと言われた。彼は最初、ただ座ってても意味が無いと考え、瞑想をすべてすっぽかし。ただひたすらに経典や仏教の参考書を読んで、正見をつかむことに専念したそうだ。そして掴んだと実感してから座った初めての瞑想で、ニミッタが出たという。
正見をつかむのに決意も波羅蜜も関係ない。ともかく理詰めの世界なので、昔ながらののんびり生活のミャンマー人は決意や波羅蜜でなんとかなるかもしれないけど、理屈先行型の頭でっかち日本人は正見をつかむことから始めたほうが絶対いいですとも言われた。
おすすめ書籍も紹介してもらったので、可能性があるとすればこの道しか残っていないような気がする。だけどその前に、結局のところこの世の快楽や金を使う楽しさをほんとうの意味で満喫してからでなければ、心底悟りを開きたいという気持ちにすらならないような気もしている。そもそも悟りを開くってなんだろうね? というレベルにまで落ち込んでしまってるのが今の現状。EO師というごく一部でだけ有名な覚者は「悟りは全員に必要な物じゃない。それが無いと死んでしまうというごく一部の人間にだけ必要なものであって、無縁で済むならそれでいい」とか言ってたっけ。それもそうかなぁと思う、今日この頃。
文章:ume_pon
震災&原発事故を機に自主退職。四国遍路、フィリピン英語留学、ミャンマー瞑想修行、現在アジアぶらぶら中。
震災&原発事故を機に自主退職。四国遍路、フィリピン英語留学、ミャンマー瞑想修行、現在アジアぶらぶら中。
こんにちは。
ティラキタさん、いつも利用させていただいています。
うめぽんさんのミャンマーお寺生活記、とても楽しく読ませていただきました。
私も恥ずかしながら自宅で悟りを目指して日夜瞑想に励んでいるところです。
思い当たることも多々ありとても参考になりました。
文章中に日本人修行者からお聞きになった、おすすめ書籍にとても興味があります。
それは普通に紀伊國屋なんかで販売している各種の仏教書のことでしょうか?
ご教示いただければ今後の修行(^^;)にも身が入るのではないかと思います。
それでは勝手な文章、失礼いたしました。
ニミッタといえば、パオ・メソッドのヴィパッサナー瞑想ですね。
>>おすすめ書籍
これは是非UPして頂きたいのですが、ご面倒ならまたの機会にでも。
ご拝読いただきありがとうございます(^^)
他の方に教えていただいた書籍は、こちらですね。
パユットー『仏法』
http://p.tl/SqRN
この本はもともと買ってはいたのですが、なかなかに難解であり、実は途中で放り出してしまっていました。ただ、これをじっくり読み込み腑に落とせれば、先にすすめるかもしれないという期待を今は持っています。
大変興味深く拝見しました。出家というテーマなら、現今読みたい人は大勢いるのではないでしょうか。
結末も“さもありなん”で、読んだ人皆我が身に鑑み納得でしょう。私も若い間から何度も頭半分実践半分で試みましたが、今世は失敗に終わりました。ほんと、覚悟が足りなかったんです。父が絶対許さなかったから、その反対を上回る対決姿勢は能力不足で取り得なかったし、父が死んだら死んだで自由になったかといえば、つまらんことで自分には資格がないと思い知りました。インドのとある場所で、他の条件はクリアできそうでしたが、冷たい水が飲めないとそれが妄念となって、悟りとか解脱とか、とても無理な相談でした。自分にとって冷蔵庫の冷たい水は、生きていくうえでの絶対条件で、それがなければ不満が膨れ上がって、とても平安なんで境地になれないわけです。要するに私はその程度。精神的成長が何かの拍子で次元が違うくらい上がらなければ、私には無理です、がっくりきますが。来世期待しましょう。
「ご拝読いただき」ってひどい日本語ですね……お恥ずかしい(>_<)
>つまらんことで自分には資格がないと思い知りました。インドのとある場所で、他の条件はクリアできそうでしたが、冷たい水が飲めないとそれが妄念となって、悟りとか解脱とか、とても無理な相談でした。
じっさいいざ修行生活に入ってみると、予想もしてなかったようなとんでもないささいな点がものすごく気になり、結局それに足を引っ張られて終わるものなんだなぁというのが今回の感想でした。
と同時に思うのですが、たとえば人は死にそうになったら虫でもなんでも食べて生き延びようとすると言われています。だけどおそらく、そういう状況になっても虫が喉を通らず衰弱死する人というのはいると思うんですよね。生活力、環境適応力……そういうものの違いが修行の是非にも関係する気がします。
こんにちは。
私もミャンマーで出家する予定です。
うめぼんさんの体験記は、とても参考になりました。
よろしければ、修行された僧院の名称を教えていただけないでしょうか。
よろしくお願いします。
>takumaさま
コメントありがとうございます。
ただ、修行された僧院の名前については、そのものズバリを書くのは難しいです。
というのも、ここはたとえば「地球の歩き方」などに公開し広く修行者を募集している僧院ではないからです。
ある程度の縁と、何度か日本で長期休暇シーズンに行われてる瞑想合宿への参加などで適性を試し、そのうえで行く事をおすすめします。
以下、日本語で瞑想情報を提供しているところをいくつか書いておきます。この中に私が関係したところも混じっております。それぞれの情報を見、向いてそうなところに連絡をしてみてください。きっとどこでも、それなりの体験を得られることかと思います。
http://www.jp.dhamma.org/index.php?L=12
http://www.j-theravada.net/index.html
http://www.geocities.jp/bodaijubunko/
http://www.satisati.jp/