グローバル化された社会とティラキタ
つい先日、インドで新聞を読んでいた所、ムンバイの子供たちを救え!と言う記事がありました。できるだけインドのことを理解したいインドパパ、どれどれと思って詳しく読んでみました。
ムンバイの子供たちが危機に瀕している。一日のうち3時間はTVやゲームをやり、学校に持っていくカバンの重さは子供であれば5Kg位が望ましいのに8Kgだ。重いカバンを背負って毎日電車やバスに乗って通学している。勉強ばかりで自由な時間が少なく、ムンバイは公園が少ないのもあって、外で遊ぶ時間はほんとうに短い…等々。 |
え? コレどこの話? 日本の話じゃないの?と思ったインドパパ。
自分の英語が間違っているのかと思ってもう一度読みなおしてみます。
でも、特に間違っているわけではありません。
「この話、本当かな?」と思って友達のインド人に聞いてみました。
「ねえ、今朝のタイムズ・オブ・インディアにこんな子供の話が載っていたんだけど…」
「今、ムンバイではそれが普通よ。いい学校に入るための準備に忙しいわ。」
「これ、日本の話かと思ったよ。」
「最近、みんなのライフスタイルが変わってきているのよ。 日本でもそうなの?」
「日本では昔からだけど。うちの子供達も勉強、勉強で大変なんだ」
記事を読んだ後、よく考えてみます。今まで旅してきた風景を思い出してみます。バンコクの子供と、ムンバイの子供と、デリーの子供と、東京の子供と…よく考えれば大きな違いはありません。ゲームに電車に、バス通学。住む所はマンションです。都市での生活はみんな一緒です。
ヒマラヤの麓に住む子供たちとティラキタ買い付け班。子供たちの目が純粋で可愛かった!! |
むしろインドやネパール、タイは国の中に大きな違いがあります。
インドパパ、こないだヒマラヤの麓にあるダラムサラに行って来ましたが、ヒマラヤの奥に住んでいる子供は外人が来たというだけで大騒ぎ。手作りの石の家に住んでいて、遊ぶのはもっぱら外でした。インドの中部の農村地帯では人々は手作りの土の家に住み、地べたに座りながら生活していました。
ムンバイの子供たちはマンション住まいです。でも、田舎の子供たちは自然の中で生活しています。ヒマラヤの奥に住んでいる子供と、ムンバイに住んでいる子供は、きっと東京とムンバイよりも大きな違いがあることでしょう。
「グローバル化された社会なんてつまらない!! どこに行っても世界が一緒なんてつまらない!」
すごく強くインドパパは思います。実はインドパパがインドにこだわる理由の一つがそれです。インドパパ、一年くらい南米を旅行していたのですが…南米はどこに行っても同じでした。高速道路があって、スーパーがある僕達の見慣れた社会でした。
インドやネパールだけがグローバル化されていない、されていたとしても揺らぐことのない強固な独自の文化を持っていました。音楽や食事、人々の考え方等々…インドとネパールは僕達の知っている社会とあまりにも違いました。
ティラキタをはじめて10年経って。経済成長の波の中でインドでも徐々に日本と変わらない部分が出てきました。特に都市圏では子供たちが同じ生活をし始めています。でもそんな中でも、やっぱりインドとネパールは違います。一見生活が一緒に見えても、中に入ってみると、彼らは手でカレーを食べて、お尻を水と手で洗って、古くからの習慣に即した生活をしています。
世界が均質化していく中で「違う文化がある。違う考え方がある。」ということを伝えたい。それがティラキタの基本的な願いです。僕達日本人は島国という事もあって、どうしても同じ考え方になりがちです。「みんなが同じ考え方なのはあまり居心地よくないよね?」ということを伝えたい、そう強く思っています。
ティラキタでは、これからも出来るだけ色々なものや考え方を紹介し、このメルマガやブログ、そして当店のイベントDANCE OF SHIVA等を通し、多様な物の見方を伝えていきたいと思っています。